紫の香りに愛されて ゆきずりのコンサルタントに依頼したのは溺愛案件なんかじゃなかったんですけど

   ◇

 それから一週間後、私たちは千葉に引っ越していた。
 アクアラインから車で十数分の市街地にある賃貸マンションをネットで見つけ、その日のうちに内覧に行って即決だった。
 東京のマンションも賃貸だったし、仕事もネット環境さえあればリモートで済むのがほとんどだったから、玲哉さんの方にも問題はなかった。
 東京の家賃に比べたら三分の一で、広さは二倍、玲哉さんの仕事部屋も独立させられた。
「薔薇園にも近いし、俺が用事で東京に出る時もそんなに不便じゃない。最寄り駅は快速も停まるしな」
 私は薔薇園の臨時社長代行に就任した。
 それまでは父が形式的に社長を兼任していたので放置状態だったのを、正式に私が再建に取り組んで良いように取り計らってくれたのだ。
 私は通勤用に原付免許を取り、近所のお店で早速中古のバイクを購入した。
 近いうちに教習所に通って自動車の運転免許も取得する予定だ。
 最低限の荷物だけで引っ越しを済ませ、必要な物は現地で買い集めた。
 少し大きめのテーブル、二人おそろいの食器、それぞれ選んだお気に入りのクッション。
 カジュアルなファストファッションで、おそろいというわけじゃないけど、着心地の良い服をいくつかそろえた。
「昭和のペアルックみたいなのはいいのか?」
 どうも玲哉さんの方が着たがっているみたいだったけど、私の方で遠慮させてもらった。
 自分名義のクレジットカード、スマホも契約した。
「なんだか逃亡して別人になりすました映画の主人公みたいだな」
 工場地帯越しに東京湾が見えるマンションのベランダで炭酸水を飲みながら玲哉さんが笑う。
 実際、こうした一連の出来事は私にとってはこれまでの自分からの逃走だった。
 結局、母とはあれから会っていないし、何の連絡もない。
 私が薔薇園の経営者になることも、株主として賛成も反対も言われていない。
 でも、それはもうどうでもいいことだった。
 無理に和解する必要はないし、たぶんできないんだろう。
 少なくとも向こうが変わらない限り無理なことは明らかだったし、ならば私にできることなんて何もないのもはっきりしていた。
 私はすでに新しい生活に慣れ始めていたし、薔薇園を再建するための仕事が忙しくて、余計なことを考えている余裕などなかった。
 そういった日常が過ぎていくと、今までが異常だったんだなと実感する。
 一人の人間として、自分で考え、自分で選び、自分で決める。
 生まれ育った土地を離れてまだあまり知らない街を歩いていると、そんな当たり前のことをやってる人ばかりで、今さらながらに驚いてしまう。
< 89 / 118 >

この作品をシェア

pagetop