新そよ風に乗って 〜幻影〜
「えーっと……。今日から1週間、会計監査で研修して頂くことになった、栗原由香さんです。それじゃ、高橋さん。後、お願いします」
「はい」
経理部長は、研修生を紹介すると直ぐに戻っていった。
「まずは、自己紹介してもらいましょうか」
高橋さんは、こういう時でも至って普通に接する。たとえ年下だからと言って、邪険な扱いもしなければ、馴れ馴れしい話し方をすることもない。
「はい。栗原由香です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私も、こんな感じだったのかな……。
「中原さんと、こちらが矢島さん。私は、高橋です」
高橋さんは、中原さんと私の紹介をしてから、最後に自分を名乗った。
「それじゃ、早速ですが、栗原さんにやってもらう仕事の説明をしますから、此処に座ってもらえますか」
高橋さんは、栗原さんが座る机の椅子を引いて、どうぞと、椅子に向かって左手を出した。
「はい」
エッ……。
栗原さんは何を勘違いしたのか、高橋さんが椅子に向かって差し出していた左手をギュッと握ると、高橋さんの左手を握ったまま椅子に座った。
な、何?
今のは、何だったの?
慌てて、高橋さんの顔を見た。
すると、高橋さんは握られた左手に一瞬だけ視線を移したが、スッと栗原さんの手を解くと何事もなかったように自分の席に戻った。
思わず、中原さんと顔を見合わせたが、中原さんは無言で頷きながら私に席に着くよう合図した。
落ち着かなきゃ。
高橋さんは、私の上司であって、彼氏でも何でもないんだから……。
なるべく平静を装って席に着くと、栗原さんがにこやかに笑ってこちらを見ていた。
「何も分からないので、よろしくお願いしますぅ」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
うわっ。
座った途端、隣の栗原さんの席の方から物凄い香水の匂いがしてきた。そして、栗原さんが座ったまま大きなバッグを机の上に置くと、バッグに隠れるようにして俯き加減にこちらを見た
「負けないから」
エッ……。
な、何?
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