あのスーツ男子はカクテルではなく土の匂い

 「でね、これ。良かったら」
 そう言うと、彼はソファの足下にあるビニール袋の中を見せてくれた。

 ニチニチソウだ。
 ピンクグラデーション色の苗が三苗、綺麗に茶色の鉢に寄せ植えされてる。

 「わあ、綺麗。やっぱり綺麗な色。私この色合い好きです。原色以外も最近あるんですね?」
 「そうなんだ。交配が進んでね。いろんな色や花形も少し変わってきている。良かったら、あなたにどうかと思って寄せ植えしてきたんだ」

 「え?くれるんですか?」
 「うん。良かったら。持って帰れる?」

 「はい。嬉しいです。ベランダの日当たりのよいところで育てますね」
 「そうだね。お日様が大好きだからね、この花は」

 「あー嬉しい。ありがとうございます」
 「そんなに喜んでもらえるなら作ってきて良かった。それに渡せて良かった。あなたはもしかして、植物が好きですか?」

 「はい。大好きです」
 「そうなんだ。それは良かった。またここで会えますか?」

 「ええ、もちろんです。いつも水曜日にいらしてますよね?」
 彼はびっくりした顔をして、顔を背けた。

 「恥ずかしいな。見られていたのか。見てたつもりが……」
 そう小さな声でつぶやいた。
 
 彼はその日、本当に忙しかったらしく、その後三十分したら出て行った。

 ただ、名前を教えてくれて、来週の水曜日会う約束だけして。
 名前は、城田宗吾さんといった。
 
 私も名前を教えた。早崎玲奈と……。
 それだけだった。

 だけど、私にしては十年ぶりの男性との仕事以外での名前の交換だった。
 その日は嬉しくてドキドキして眠れなかった。

 
< 16 / 63 >

この作品をシェア

pagetop