雪降る夜はあなたに会いたい 【上】
雑踏を逃げるように走っていた。
「――君、ちょっと、待って!」
誰かを呼び止める声がしたけれど、それが自分へのものだとは思わなかった。突然肩を掴まれて、その反動で身体が倒れそうになる。驚いて振り向いてみれば、どこかで見たことのある顔があった。
「戸川雪野、さん。でしょ?」
「あなたは――」
曖昧な記憶が形を成していく。
あの人だ。初めて創介さんに会った日、あのパーティーで、創介さんの傍にいた男。一度しか会ったことはないけれど、その人に間違いない。
「木村と言います。創介のマンションで一度会ったよね。覚えてる?」
軽い口調に警戒しつつも頷いた。
「――良かったよ。すれ違わなくて」
「え……?」
その言葉の意味が分からない。早く立ち去りたかったのに、思わず木村という人の顔を見上げてしまった。
「最近、バイトのシフト変わった? マンションに現れる時間が以前と違うんだもん」
「どうして、そんなこと……」
どうしてこの人が私のアルバイトのシフトなんか気にするのだろうか。そもそも、この人は創介さんの知り合いだ。私とは何の関係もない。
「君と話をしようと思ってね。君と会うにはどうすればいいかなって考えてさ。創介に頼むわけにもいかないし? あいつのいないところで話したかったからさ」
「私には、創介さんのいないところで話すことなんてないので失礼します――」
これ以上、誰かから何かを聞かされる気力は残っていなかった。
「待てよ」
逃げたかったのに、さっきまでのへらへらとした口調ではない低い声と共にもう一度肩を強く掴まれる。
「君に会うのにどれだけ苦労したと思ってんの」
「それは、あなたが勝手に――」
「俺が話そうとしていること君は聞くべきだ。そう思わない?」
口元は笑みを作っているのに、その目は全く笑っていなかった。
半ば強引に、近くにあったカフェに連れて行かれた。
都心のど真ん中、六本木なんて場所にあるカフェは、コーヒー一杯で千円近くしたりする。差し出されたメニューの中でさっと値段を見て、一番安いものを注文した。
テーブルを挟んで向き合う。目の前にいる人も、きっと創介さんと同じ世界の人なのだろう。身に着けている物すべて、私ではどこで売っているのかさえも分からない。
ほぼ初対面だと言っていい。それなのに、創介さんに強引にキスされたところを見られてもいる。こうして向き合っているのは気詰りだ。それに、私の心はまだ動揺の最中にいた。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。ああ、それとも、緊張したフリだったりする?」
その棘のある言い方に目の前の人の顔を見る。
「控えめそうにして、本当はかなり貪欲なのかな。創介の前では『何も望んでません』みたいな顔して、実は虎視眈々とあいつの心の中に入り込もうとか?」
思わず言葉を返そうとして口を開きかけたけれどすぐに噤む。
きっと、何を言っても意味なんてない。
「――ウソだよ」
「……え?」
ふっと笑って私を見る。
「俺ね、創介とはもうガキの頃からの付き合いなの。あいつの家族以外で、いや多分、家族以上に俺が一番創介という人間を知ってると思う。あいつが女の浅はかな演技に騙されるような男じゃないことは分かってるんだ」
一体、この人は何が言いたいのだろうか。
意味深な目をして、私に顔を近付けて来る。
「創介は誰のことも信じない」
そう言い終えると、木村さんは身体を椅子の背もたれに戻した。
「君がどこまで知っているのか分からないけど、創介のこと教えてあげるよ。ちゃんと聞いていて」
そして、木村さんは一方的に話し出した。