雪降る夜はあなたに会いたい 【上】
「待てと言ってるのが聞こえないのか!」
なんとか腕を掴んでも、雪野はこちらを振り向こうともしない。ただ肩を強張らせているだけだ。
「さっきのは、何の真似だ。いつから俺の使用人になった?」
「こんなところに追いかけて来たりして、創介さんこそ何をしてるんです? 一緒にいた人に何かを怪しまれたりしたらどうするの? 早く行ってください!」
全身で何かを堪えるように、掴んだ腕さえも強張らせる。
「あの人、創介さんにとって大事な人ですよね? お願いだから早く戻って!」
「雪野!」
いつもの雪野とはまるで別人のようで。一向にこちらを見ない雪野に苛立ち、腕を強く引き寄せて無理やりに俺の方を向かせた。
「おまえは、どういうつもりでそんなことを言ってるんだ?」
どうしようもなく腹立たしくて、怒りが身体中から溢れ出す。
その怒りが雪野に対してなのか自分自身に対してのものなのか、もはや分からない。
「俺が他の女といたところを見たんだ。それで、どうしてお前が取り繕う必要がある? その女は誰だと聞けばいい!」
おまえは、俺の――。
「……どうして、私がそんなこと創介さんに聞けるの?」
雪野の苦痛に歪んだような表情に、言葉を失う。
「創介さんと私は、最初からお互いに縛られない関係でしょ? いつまでもこんなこと続けられないことくらい分かっていました。創介さんも同じはずです」
「雪野……?」
物静かな雪野が、見たこともないほどに捲し立てる。
「私は、創介さんを手に入れたいだなんて思ったことはありません。あなたと私とでは何もかもが違い過ぎる。創介さんにとって相応しい人はあの人です。創介さんだって、そんなこと分かってますよね?」
雪野は、まさか――。
「おまえ、何を知っている――?」
「創介さんが、丸菱グループの創業家の生まれで、次期社長になるべき人だってことだったらもうずっと前から知っています。本当だったら、こんな風に関わるはずもない人だったってことも!」
いつも控えめな雪野が感情のままに叫ぶ。
全部、知っていた――?
三年も一緒にいるというのに、雪野が俺のことを聞いて来たことはなかった。
一度、雪野に聞いたことがある。俺に雪野を出会わせた、雪野と同じ大学の女とは親しいのかと。彼女が俺のことを雪野に話していてもおかしくない。
『ユリさんとはもともと親しいわけじゃなくて。あれから話をしていないんです』
その言葉を聞いてホッとしたのを覚えている。
雪野は、俺のことをただの金持の息子くらいにしか認識していないのだと思って来た。
だから、雪野の傍にいる時だけ、ただの榊創介になれた。邪魔なほどの家柄も、無意識のうちに貼られているレッテルも、何もかも忘れて心の底から呼吸が出来た。
そして、それ以上に雪野に俺の本当の立場を知られたくない理由があった。
俺の家のことを知ったら、雪野は離れて行く――そんな気がしてならなかったからだ。
雪野は、自分という人間を過剰なほどにわきまえているところがある。そんな雪野が、俺の家のことを知れば、苦悩して、最悪去っていくかもしれないと不安だった。
なのに、雪野は俺の家のことを知っていた。何も言わずに俺の傍にずっといたのだ。
「全部分かっていて傍にいたんです。創介さんが私に対して申し訳ないなんて思う必要はありません。いつか終わる。そのいつかが今だっただけのこと」
「雪野、俺は――」
「もう、創介さんとは会いません!」
必死に掴んだ細い腕は、信じられないほどの力で俺を振り払った。