38年前に別れた君に伝えたいこと
何事もなく過ぎ去る平凡な日々は記憶に残らない、それがどんなに希少で大切な時間であったかは失った時に初めて気づくものだ、幸せであればある程、人はその尊さを忘れて過ぎる。
すると、色濃く記憶に残る青春時代は幸せでは無かったのだろうか…、
子供から大人へと成長する過程の心と体の不安定な時期に、生活環境が変わり、出逢いと別れを繰り返し、そして恋をする。
喜怒哀楽の感情の変化の激しさに、幸せを噛み締めるゆとりも無く瞬く間に過ぎ去って行く、そんな子供でも大人でもない時期の希少な経験だからこそ記憶として残るのではないか。
その日は、
約1か月通った仕事が昼前に終わって、そのまま家に帰るには早すぎると思案して、次の仕事場に向かって車を走らせていた。
30年以上も毎日のように車に乗っていると、走る道は自然と限られてくる。交通量や信号の数、バスレーンや駐車車両の有無などを考慮して効率の良い道を選んで走るようになるからだ。
普段は通らない道、、
名古屋の中心部にある、桜で有名な大きな公園の近くを車で走っている時の事だった、通りがかった街の風景を見て、ある記憶が頭を過った。
忘れかけてた微かな記憶に胸がざわつき始める。
たしか、、昔付き合っていた彼女の家がこの辺にあったはずだ、、
古い記憶を頼りに、ゆっくりと車を走らせる。
自分の年齢から過ぎ去った年月を数えて、その時の長さに驚かされた。
もう38年も昔の話だ、、、
彼女は、元気にやってるだろうか、、
懐かしい思い出が、少しづつ甦える。
彼女の家には、送り迎えに数回訪れた覚えがあった。
名古屋の街中では、木造の日本家屋が立ち並ぶ風景は失われつつある。
古い家や土地は、解体、集約されてビルとして生まれ変わっていく。
煩雑とした景色は、すっきりとして都会の街並みへと日々変わり続けていた。
この辺りも例外ではなかった、
当時とは全くと言っていい程様変わりしている。
まるで、その場所だけが時間が止まったかのような数軒の古い木造家屋が点在するだけで、辺りは背の高いビルや住宅が乱立していた。