突然、あなたが契約彼氏になりました
 その剣幕に恐れをなしたのか、総務の三人組はコソコソと立ち去った。三人とも、まさか、菜々がそんなふうに言ってくるとは予想していなかったのだろう。

 その時、ふとトイレの鏡に映った自分の顔を見てハッとなる。眉間にシワが入っていた。知らないうちに、自分の心が日常のラインを飛び越えている。こんなふうに衝動的になるのは何年ぶりだろう。

(やだ。ムキになっちゃったわ。でも、恋人という設定だから別にいいよね……。不自然じゃないよね)

 なんで、小塚を馬鹿にされると、こんなに腹が立つのか我ながら不思議だ。確かに、ファッションは凡庸だが社会人として相応しい服装をしている。

 親が貧しかったとしても、それが欠点になるのたろうか。

 そんな事を思いながら、いつものように郵便物を各部署に配っていると、田中が現れたのである。菜々に話があると言うと、そのまま強引に引き止めるとひとけの少ない資料室の前まで連れていき、スマホを見せてきた。

「菜々ちゃん。この書き込み、社内で噂になっているのを知らないの?」

 知っている。それ、あなたが書いたのよ。そう言いたいがグッと我慢する。

「そんなのデタラメですよ」

「いや、ヤバイ奴なんだよ。菜々ちゃん、悪いことは言わないから、あんな奴と別れた方がいいよ。オレは真剣に君のことを愛している」

 ドンッ。壁に手をついて菜々に迫ろうしている。何なんだ。この薄っぺらな告白は。ちっとも心がこもっていない。おまえは大根役者なのか!

 白けたような気持ちになり、見つめ返していく。

(田中さんは彼氏がいるよね。親に結婚しろって迫られているから、未亡人のあたしを利用しようって魂胆なの? 馬鹿にしないでよ)

 そんな事を思っていると田中の顔が目の前に迫ってきたものだから悪寒が走った。

 反射的に突き飛ばしていると、田中がムキになって叫んだ。

「なんで、菜々ちゃんは、オレよりあいつを選ぶのさ。顔もファッションセンスもオレの方がいけてるよね? オレの方が美形だよね?」

 先刻から、この人は外見のことばかり言っている。正直なところ、小塚の方が顔が綺麗だと思っているけれども田中に対して、それを言うのは気の毒な気もするので呑み込む。

 でも、これだけは言いたい。

「人を好きになる基準ってそれだけですか?」 

 急に真顔になって睨み返してきた菜々。それに対して田中が真顔で聞き返してくる。

「それじゃ、菜々ちゃんの基準って何なの……」

「どれだけ相手を信用できるかだと思います。あるいは、その人の為なら、どこまで自分が頑張れるか。自分を犠牲にできるかですね」

「小塚のこと信用してるの? 騙されてるかもしれないと思わないの?」

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