突然、あなたが契約彼氏になりました
 単なる女の勘というやつで、それが外れていた場合は目も当てられないけれど、自分の気持ちに素直でいたい。小塚と付き合っている訳ではない。まだまだよく知らない相手だが、それでも言い切っていく。

「小塚さんは誠実な人ですよ」

 怒ったようにその場から離れようとしていると田中が追いかけてきた。

「菜々ちゃん、オレ、諦めないよ。菜々ちゃんが言うようにオレも好きな人の為ならどんな事も出来るからね」

 おまえはゾンビなのか……。菜々は田中の猛烈なアプローチを振り払いたくて顔をしかめる。この人はおかしい。異様なものを隠し持っている。それは狂気と呼んでもいいだろう。

「もう、いい加減にして下さい。訴えますよ」

 マジで勘弁して欲しいと恐怖を感じて背を向けようとすると田中が腕を伸ばしてきた。

 その時、田中の背後から誰かが滑り込んできたのである。

 鮮やかな動作で二人の間に割り込んでいる。

「菜々、こっちにおいで」

 それは小塚の声だった。

 力任せに田中の肩を引っ張ると、凛とした輝きを放ちながら菜々の前に立ちはだかり、田中が菜々に触れることを阻止している。

 助かったと思うと同時に、これからどうするのかしらという気持ちがこみあげてきた。

「田中さん、こんなところで僕の彼女を口説くのはやめて下さい。彼女は、ハッキリとあなたにノーと言ったはずですよ。聞こえなかったんですか。菜々は僕の恋人なんです」

 お芝居だと分かっていても頬が染みるように熱くなる。自分を救おうとする雄々しい態度に心臓が揺れている。胸がドキドキする

 小塚は田中への視線を強めながら語っている。

「僕達は将来を誓い合っているんですよ。横恋慕するのはやめてもらえますか?」

「恋愛は自由だよ」

「そうかもしれませんが、彼女は嫌がっていますよ。あなたの負けですよ。田中さん」
 
 冷え冷えとした眼差しを向けられた田中は怯みそうになるけれども、負けまいとして睨み返している。田中の胸の奥で仄暗い情念のようなものが凝っているかのようだった。

(おかしいわ。ほんと、田中さん、何かに追い詰められたみたいな顔をしている……。この人、なんで、こんなふうにムキになっているのかな?)

 田中の菜々への執念はどこか歪だった。菜々は確信していた。自分は田中に愛されていない。だけど、田中は菜々を得ようとしてあがいている。

(どういうことなの……)

 目の前で繰り広げらている緊縛するやりとりを見ているうちに自然と鼓動が早まる。小塚が自分の為に頑張っている。そうと思うと、嬉しくて頬の辺りに熱が立ち昇っていく。

 小塚は、少し不適な笑みをこぼすと、スッと田中の耳元へと顔を寄せたのだ。不思議な緊張感が二人を包み込んでいる。小塚は、まるで秘密の雫を落とし込むかのようにして何か囁いている。

 えっ。

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