突然、あなたが契約彼氏になりました
「父は大病院の院長なんです。母との離婚は成立しています。ずっと会っていなかったのに、一ヶ月前に急に現れたかと思うと僕に病院を継げと言いました。今から医学部に入れと強要してきました。そしたら、母さんの施設の費用を出してやるって言うのです。医師免許を取るのは構いません。だけど、あいつの言いなりになるって事が悔しいのです。僕は、今の職場を気に入ってます」

「お父さんは再婚しなかったんですか?」

「したみたいだけど、子供は生まれていないらしいです。絵に描いたようなモラハラ男なのです。僕の結婚相手も決めています。名前も知らない見た事も無い女性と婚約しろと言ってきました。ああーーーー、クソッ。金さえあれば、こんな事で悩まなくて済むのにって自分の運命を呪いました」

 そうなのか。だから、小塚は質素倹約の暮らしを続けているのだと腑に落ちた。

 きっと、これまで母と子二人で助け合って生きてきたに違いない。愛する母の為に人身御供になろうとしているのかと思うと気の毒で泣けてくる。
 
 菜々の胸はキュンと引き絞られていた。何とかしてあげたい。今回、お世話になったお礼をしたい。気付くと、こんな台詞を口にしていた。

「良かったら、あたしが融資しますよ。無利子でお貸しします。そしたら、小塚さん、医学部に行かなくても済みますよね。今回の事件で分かったんです。小塚さんがいなかったら、あたし、もしかしたら田中さんに殺されていたかもしれないんです。命の恩人です。お礼をさせて下さい」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」

 この人は感激して俯いていたはずなのに……。

 ドンッ。急に両手でテーブルを叩いている。

(えっ……?)

 なぜか、持っていた御箸で菜々の額をペチンと叩いたのである。顔を寄せたまま、めっと子犬を躾けるような顔で睨み付けている。

「ほらほら、駄目ですよ。ホイホイとお金を人に差し出さないで下さいよ。本当、危なっかしい人ですね。そんなんだと、今後も、第二第三の田中が出てきて財産を狙われますよ」

 何なんだ。この人は……。

 ガラッと顔つきを変えて説教を始めている。

「テキトーに作った僕の話を鵜呑みにしましたね。確かに、僕は母子家庭で、近所の子供達から貧乏人と言われて傷付きましたが、母は、死ぬほど元気です。清掃人として働いています」

「ひどいじゃないですか。あたし、本気にしたんですよ」

 小塚の話はどこからどこまでが本当なのか……。時々、分からなくなる。

 しかし、小塚は、ほんわりと、お日様のように微笑んでいるものだから、みぞおちの辺りが疼くような感覚が生じていた。色々と戸惑いながら、菜々は、悟られぬように呼吸を整えながらも自問する。

(なんで、こんなふうにうろたえているのよ)

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