突然、あなたが契約彼氏になりました
 総務の若い女子がどんなに意地悪でも挫けたりしないし、ましてや、逆恨みなどしない。そんな徳光さんを菜々は心の底から尊敬している。たから、声に力を込めて言い切った。

「これだけは自信を持って言えます。仮に、徳光さんが田中さんを好きだったとしても、高潔な徳光さんが姑息な手を使うとは思えません。優しい彼女は絶対にしません」

 言っているうちに胸の底がカッと熱くなって、何だか声が尖ってきた。自分でも気付かないうちに興奮していたみたいだ。

「あっ、すみません。つい熱くなってしまって……」

「あなたは可愛いらしい方ですね」

 どう反応すればいいのか分からなくて、とどきまぎしていた。深い意味はないのかもしれない。なぜなら、小塚の表情は無色透明で仙人のように超然としている。

「あっ、失礼しました。ただの個人的な感想です」

 レトロな銀縁の眼鏡のフレームを指で押し上げた後、仕切り直すように呟いた。

「とりあえず、真相が分かるまでは、田中さんとは少し距離を置いた方がいいと思いますよ。唐突で申し訳ありませんが、僕でよければ彼氏になりますよ」

「えっ、彼氏……?」

「いえいえ、あくまでも偽装です。僕は警察官ではないので、今の状況で田中さんを追い払う権限がありません。しかし、僕が彼氏という設定ならば、土屋さんには近寄るなと言うことが出来ます」

 おおっ、なるほど。菜々にとっては心強い申し出なのだが……。 

「でも、小塚さんだって彼女がいるでしょうし……」

「今はいません」

「だけど、彼氏ですなんてことを公言すると、やっかいなことになりませんか? 小塚さんのことを好きな女性もいらっしゃいますし……」

「もちろん、わざわざ彼氏ですという宣言をしなくていいんですよ。すべては今後の田中さんの出方によります」

「あっ、なるほど」

 この人は、本腰を入れてこの奇妙なセクハラ(?)事件に取り組んでくれるようである。それは心強いと思っていると、ローテーブルに置かれていた小塚の携帯が鳴った。小塚は、着信音を聞きながらも、わずらわしげに瞳を曇らせている。

「あの、出なくていいのですか?」

「構いませんよ」

 そうこうしているうちに電話は鳴り止んだのたが……。なぜか、小塚は物憂げな顔をしている。この時は、何だか掴みどころのない人だなど感じたのだった。

      ☆

 それにしても妙な展開になってしまっている。

(契約彼氏って、漫画では、よく聞く言葉なんだけど、まさか、自分がそんな状態になるなんてね)

 昨年、小塚は、人事部の部著のセクハラ案件も粘り強く指導している。

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