吸血鬼令嬢は血が飲めない

毎年吸血を拒み続け、わたくしは気付けば160歳。外見年齢は人間で言う16歳ほどで、吸血鬼の中ではまだまだヒヨッコですわ。

吸血鬼が血を飲まないで死にはしないかしら?と不安になった時期もありましたが、わたくしの場合はたまたま牛乳が養分として体に合っていました。

「………レギナお嬢様。こちらをどうぞ。」

「…あ、ええ、ありがとう。」

スアヴィスは顔に不満を浮かべ、拒まれた血の代わりに、グラスに注がれた真っ白な牛乳を差し出しました。
わたくしのパニックもやっと落ち着き、飲み慣れた牛乳をちびちびと口にします。

「あぁ、美味しい…。安心しますわ。」

けれど、やはり吸血鬼の体に最適なのは“血”なのでしょう。

「…ウッ…。」

ふと視界が眩みます。
椅子から転げ落ちそうになったところを、すかさずスアヴィスが抱き留めてくれたおかげで、大事には至りませんでした。

「…ウゥ、ありがとうスアヴィス。
頭がフラフラしますわ…。」

「…お嬢様。年々貧血が酷くなっておいでです。
いくら牛乳を召し上がったところで、血液の完全な代用にはなりません。」

「…ち、血を飲むくらいなら、貧血でカラカラになったほうがいくらかマシだわ…。」

転生したわたくしレギナは、160歳の今なお、ひどい小心者なのです。
正直、我が家であるバートランド城のおどろおどろしさも怖いし、一番そばで仕えてくれる執事の存在も、得体が知れなくて決して慣れません。

原作のレギナ・バートランドは、サディスティックな性格の吸血鬼だった。
けれど今のわたくしは、血を見るのも飲むのも無理な、臆病な貧血鬼(ひんけつき)と成り果てていたのでした。

160年も吸血を拒んだものだから、その体は栄養失調のために虚弱。常に重度の貧血に悩まされ、スアヴィスの過保護を一層加速させる事態に…。

そんなわたくしも、吸血鬼令嬢として生まれ変わったからには、果たすべき使命というものを密かに抱いておりました。
ホラーゲームなら敵がいて、それに立ち向かう主人公がいるものです。

「…ではお嬢様。
私がとっておきの品をご用意致しましょう。
獣の血よりもずっと甘く美味な逸品を。
きっとお嬢様のお口に合うはずですよ。」

「……一応訊ねますけど、それはどういう意味かしら?」

無表情だったスアヴィスに妖しげな笑みが浮かぶ。怖気と、嫌な予感を覚えるわたくしに対し、彼は平然と答えました。

「昨夜、使用人達が城周辺の森で新鮮な人間(えもの)を捕らえてまいりました。
16歳の瑞々しい娘です。
それを使って、お嬢様のために極上の一杯を搾って差し上げますからね。」

そう。ゲームならば、敵に立ち向かう主人公がいて然るべき。

「…え!?
そ、その子、名前は!?どんな子!?」

目を見開いて詰め寄るわたくしの反応は予想外だったのでしょう。
スアヴィスは驚いたような、かと思えば訝るような目を向けました。

「………名は、ラクリマ。
忌々しい太陽のような金髪と、恨めしい海の底のような碧眼の娘です。」

「!!」

なんてこと。わたくしの予感は的中してしまいました。
何を隠そう、スアヴィスの言う少女ラクリマこそ、『コープス・フォート』の主人公その人なのです。


ーーーついに、ラクリマに会える!


「スアヴィス!!
お誕生日のお祝いは無しよ!
わたくしはその子に会いに行きます!」

存外、わたくしの頭は冷静でした。
10歳の頃に記憶を取り戻してから、ただこの時のために準備をしてきたと言っても過言ではありません。
いくら血が飲めない吸血鬼でも、その体は人間を凌ぐ能力を備えています。変身ですとか、飛行ですとか、簡単な腕力の使い方は心得ていますもの。練習する時間もたっぷり100年以上ありました。

ーーーわたくしなら、できる!!

「今のわたくしなら、ラクリマを守りながら、この死霊城から脱出させることができるはずだわ!」

「!?」

小心者なわたくしがなぜ『コープス・フォート』をプレイできたのか。
強い理由のひとつとしては、主人公兼ヒロイン“ラクリマ”への思い入れゆえ。
100年以上待ち続けた想い人に会える。そして危険から救える!わたくしの興奮はどれほどのものだったでしょう!

一人興奮するわたくしに反して、執事スアヴィスは冷徹な表情をさらに険しいものへと変えていきました。

「…お嬢様。
ラクリマという人間をご存知なのですか?」

「ええ!ご存知よ!
わたくしの人生は彼女のためにあると言って良いくらいにね!」

神様の悪戯か、わたくしの強い想いが、ラクリマを唯一救える立場である“レギナ”への転生を叶えた。そう解釈する他ありません。

「スアヴィス!
ラクリマは傷付けてはダメなの!
彼女の居場所を教えてくれる?」

ヒロインの心配で頭が一杯なわたくしは、スアヴィスの目がみるみる冷たく恐ろしいものに変わっていったことに、少しも気付きませんでした。

「…理解致しました。レギナお嬢様。」

「え?」

突然、スアヴィスの燕尾服の裾が左右に大きく広がり、本物の蝙蝠の羽に変わりました。
ひとりでに窓が開き、巻き起こった突風に、わたくしは身構えます。

「…あの娘。
お嬢様を惑わす者の血など、一滴残らず搾り尽くしてしまわなければ…。」

「…え?え?スアヴィス…?」

彼が冷淡無表情なのはいつものこと。しかしこの時ばかりは様子がおかしい。
なんというか…目が据わっています。
嫌な予感を覚えたわたくしが止めるより先に、静かな怒りを湛えたスアヴィスは、その場からふわりと浮き上がりました。

「…しばしお待ちくださいませ、お嬢様。
…私と、晩餐のメインを飾る新鮮な“ジュース”の帰りを…。」

「ま、待って!!なんだか物騒なこと考えてない!?どこへ…!?」

開け放たれた窓から外へ飛び立つと、わたくしの制止も虚しく、彼は灰色の霧の中へと姿を眩ませてしまったのです。

「…ままま、まずいわ…!」

なぜ彼は急に怒ったのか、理由は定かではありません。
しかし血の気立った彼が向かう先など、ラクリマの所以外にありましょうか?

わたくしはいつも以上に顔を真っ青にします。得意な変身術で蝙蝠に姿を変え、暴走したスアヴィスの後を追いかけました。
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