吸血鬼令嬢は血が飲めない
小鳥のような女の子

『コープス・フォート』序盤では、城に連れ去られたラクリマは、地下牢の独房で目を覚まします。
地下牢は縦にも横にも広く薄暗い空間に、石造りの独房が無数に並んでいます。その一つ一つを捜しますが、ラクリマの姿は見当たりません。

「どうしよう…。
まさかもうスアヴィスに…。」

最悪の結末を頭から振り払い、わたくしは地道に捜索を続けます。
ふと、一つの独房の中に、蠢く白い物体を見つけました。

「ラクリマ!?」

やっと見つけた生存者。
わたくしは檻をすり抜け、その生き物に駆け寄りました。
しかし手に触れたのは、若い娘のすべすべとした肌ではありません。

「まあ。」

もふもふしています。
わたくしの手をすっかり包み込むもふもふが、驚いて素早く身を遠ざけました。
こちらへ向けられた黒い目玉と、しっとり濡れた鼻先。それは人間ではなく、雪のように白い大型犬でした。

「…なぁんだ…。使用人達、生き物と見るや見境がないんですのね…。」

犬は連れて来られたばかりなのか、衰弱した様子はありません。唸り声と共に、わたくしをきつく睨んでいます。見れば、首を太い鎖で繋がれています。

怯えているんだわ。可哀想に。
こんな得体の知れない城の独房に押し込められたのだから、当然よね。

「…ご、ごめんなさいね。
わたくし、あなたを食べる気は無いのよ。」

使用人達に代わって謝罪を述べながら、わたくしは犬の首に付けられている鎖を外します。

「それにしてもこの犬、どこかで会ったような…?」

拘束を解き自由になった犬は、わたくしへの警戒を少しばかり解いてくれました。唸り声をやめ、不思議そうにこちらを見上げます。

独房の(かんぬき)を外して格子戸を開け放つと、犬はそろりそろりと檻の外へ。

「城の外へ逃してやりたいけど、今はラクリマ捜しが優先なのです。
あなたも手伝ってくださる?」

吸血鬼は人智を超えた怪物ですから、異なる種族とのコミュニケーションもお手の物。
わたくしが告げると、意思を理解した犬は「ワン」とひとつ鳴いて答えました。
なんてお利口なのかしら。

「…ラクリマだけじゃなく、スアヴィスもいないみたい。
地下牢を出た後の展開は、…ええと、何だったかしら…?」

早くしないと冷血執事にラクリマが搾り尽くされてしまう。
一人焦るわたくしの視界の端で、猟犬はしきりに地べたのにおいを嗅ぎ、またひとつ「ワン」と鳴きました。

「何か見つけましたの?…あら?」

犬の示した物を見ると、それは一枚の古い写真のようでした。
拾い上げると、そこに写っているのは10歳くらいの、可愛らしい人間の女の子。顔立ちには見覚えがあります。

「…これって、まさか…!」

わたくしはしばらく食い入るように写真を凝視し…

「…間違いない。これは、連れて来られたラクリマの私物だわ。
すごい!よく見つけたわニクス!」

大喜びで、白い犬の頭を撫でました。
同時に、口をついて出た「ニクス」という名に驚きます。
なぜわたくしは初めて会った犬の名を…?

「あ!」

人懐っこく尻尾を振るニクスの姿を見ていると、わたくしはまた新たな記憶を取り戻しました。
そうです。『コープス・フォート』の主人公はラクリマだけではない。この猟犬ニクスも、ラクリマをサポートしながら城内を探索する準主人公だったのです。
こんな悪趣味な城を女の子たった一人で歩かせるなんて、製作陣の正気を疑いますものね。

ニクスは得意げな様子で、写真から得た匂いを頼りに、ラクリマを追跡し始めます。その見慣れた懸命な後ろ姿に、わたくしは込み上げるものを感じました。

「すごいわ。まるでゲームの世界に入り込んだかのよう。
…あぁいえ、既にゲームの世界に転生しているのですけど。」

匂いを辿るニクスは、意外にもあっさり地下牢を出て地上階へと移動しました。
これには焦ります。既にラクリマは地下牢から出ている。物語が進行している証拠です。
ラクリマ自身の足で出口を見つけたのか、あるいは吸血鬼の手によって移されたのか…。

地下牢を出た先は、広い中庭に続いていました。
暗い灰色の霧が立ちこめる、妖気漂うバートランド城が眼前に聳え立ちます。背景には、霧に霞んだ巨大な朧月。見慣れた住まいだというのに、わたくしは背筋を震わせてしまいます。
それに対してニクスは、淡々と冷静に、ラクリマの匂いを辿っていました。

「ワン!」

突然、ニクスが前方に向かって大きく吠えたてました。視線の先を見て、わたくしは叫びます。

「ヒィッ!!」

無数の蔦が絡まり合って、不気味な怪物を形作っていました。
体長3メートルはありそうな巨体。右手には錆だらけの大きな枝切り鋏を備えています。左手は形を上手く保てない蔦がずるずると伸びて、自分よりもずっと小さな、とある生き物のことを吊し上げていました。

その吊し上げられている生き物を目にした途端、わたくしの頭から恐怖は引き潮のように去り、代わりにカッと血が上りました。

「ムルタ!!今すぐその娘を放しなさい!!」

声を張り上げると、蔦の怪物ムルタの動きがピタリと止まります。
わたくしが怒った理由…それは、ムルタの蔦が縛り上げている“人間の少女”にありました。

豊かに波打つ金髪、小柄ながら均整のとれたプロポーション。本来ならオーシャンブルーの色であるはずの瞳は、今はぴったりと閉じられています。
不気味な城の中で、彼女だけが儚く光り輝いているようでした。

「わあぁ…!ラクリマだわ!」

わたくしが『コープス・フォート』でずっと苦楽を共にした、天真爛漫の憐れなヒロインが目の前にいるのです。
なんて完璧なデザイン…わたくしは助け出すことも忘れて、しばし彼女の可愛らしさに見惚れてしまいました。

視界の端で、発言の機会を待っていたムルタがゆっくり言葉を発します。

「……これは、おじょう、さま。
ごきげん、いかがで…。」

わたくしはまなじりをキリッと吊り上げ、怪物ムルタのことを睨み上げます。

「ちっとも良くありませんわよ!!
人間の娘は食べちゃダメって、いつも言ってるでしょう!?」

「…えぇ?……あぁ…?」

ムルタはピンと来ないらしく、蔦でグルグル巻きの頭をコテンと傾けます。
彼はこんな奇妙な姿をしていますが、れっきとした吸血鬼です。この城の広大な庭の管理を任せている庭師なのですが、少し…いえだいぶ抜けています。
体に巻きついた蔦も「こうしたほうが暖かくて落ち着くから」と言って脱ごうとしないのです。
ゲーム本編では、インパクト大なビジュアルで序盤にプレイヤーをビビらせる小ボス的ポジションでしたが、理由を知ると拍子抜けしてしまいます。

「……こ、れ…ちかろうに、おちてた…。
おじょうさま、に……ぷれぜんと、しようと……。おたんじょび、です、から…。」

「…あ、あら。ありがとう…。
でもこの子は落ちてたわけじゃないのよ…。」

抜けていますが、根がお人好しのムルタらしい。
ただこのまま放置していたら、本人も気づかぬままにラクリマを傷だらけにしそうなので、速やかに受け取ることにしました。

「あぁっ、ラクリマ!生きてまして…?」

ぐったりと動かない…けれど見たところ怪我などはありません。恐怖のあまり気絶しているようです。
ラクリマを抱き上げた実感がじわじわと込み上げ、わたくしは不安げな顔から一転、自分でも分かるほど恍惚とした笑みを浮かべました。

「なんて軽いの!小鳥のよう!」

それに女の子特有のとっても良い香りがしますわ…。
ラクリマは身じろぎひとつせず、わたくしの腕の中で微かな息をするだけ。

ふと、ニクスがムルタに対してウゥ…と唸っていることに気づきました。
本編では小ボスとして敵対したムルタに、何か感じるものがあるのかもしれません。

「怖がらなくて大丈夫よ、ニクス。
でもあまり近付きすぎないようにね。
ムルタも、今後この娘と犬に手を出してはダメよ!」

ムルタの「はい…」という小さな返事を聞くと、わたくしは踵を返します。一刻も早くラクリマを森の外へ逃さなければ。
早く、早く。執事スアヴィスに見つかる前に。

「さあ、このまま門の外へ…。」

ラクリマを腕に抱き、城門のある方向へ爪先を向けた時でした。
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