月へとのばす指
そうして、到着したタクシーに乗り十分ほど走った場所にあるマンションにたどり着いた頃には、九時近くになっていた。時間が時間だけに、十五階建てのオートロック付きマンションに出入りする住人の姿は、今は絶えている。
エレベーターで最上階まで行き、三室あるうちの一番奥の部屋が、久樹の今の自宅だ。中に入り、リビングのソファにとりあえず唯花を座らせてから、キッチンへと向かう。
貧血だと言っていたが、そういう場合、何を食べたり飲んだりすれば症状が緩和されるのだろうか。情けないことに、考えてみても思いつかなかった。
スマートフォンで検索してみたが、予防のための食べ物や飲み物が出るばかりで、応急処置で使えそうな記述が見当たらない。
どうやら貧血の応急処置としては「足の位置を頭より高くして横になる」のと、「体を温めて血行を良くする」のが有効なようだ。症状には効かないかもしれないが無いよりはいいだろうと思って、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを一本取り出し、寝室のベッド下の収納場所から毛布を引っぱり出して、リビングへと戻る。
──唯花はすでに、ソファに横たわって寝ていた。
『なんでだよ。どうして、もう付き合えないんだ』
そう言ったのは、大学時代に交際していた相手だった。
『ごめんなさい』
入学してすぐの演習授業で知り合い、レポート発表で組むことになって意気投合した。
それから付き合い出して半年。デートの最中、唯花は自分から別れを切り出したのだ。
『さっきから謝ってばっかりじゃないか。理由を言ってくれよ。俺が嫌いになったのか』
『…………』
『まさか、男ができたのか』
『そうじゃない、違うの』
『じゃあ、どうして』
ひどく言いづらかった。だが言わなければいけなかった。
『私は……、────だから』
絞り出すように言うと、相手は沈黙した。
『だから、これ以上付き合えないの』
『……なんだよ、それ』
沈黙の後で相手が発したのは、かすれた声。
『俺に嘘ついてたのかよ』
『そんな、嘘なんか』
『今まで言わなかったじゃないか。ずっと黙って、人を期待させて。それが嘘じゃなかったら何なんだ』
打って変わった、蔑むような口調に愕然とした。
確かにずっと黙っていて、言わなかったのは事実だ。だが、それを嘘だと断じられるなんて。