君を忘れてしまう前に


 気になっていた、サラの首にある大量のキスマークは、アイボリーのドレープシャツで綺麗に隠れていた。
 どれだけたくさんの女の子達から視線を浴びたって、あの服の下にはわたしが触れた痕がある――そう思うと独占欲が満たされ、ちょっとした優越感が生まれる。
 首にキスマークを付ける行為をあれだけ茶化していたのに、今なら付けたくなる気持ちがよく理解できた。

 そろそろ演奏も終盤に差しかかった時だった。
 突然、ピアノを奏でる香音さんの指が止まり、その直後から次々にミスタッチが続く。
 どうしたんだろうかと、こちらが心配になるより先に、サラは途切れ途切れになった伴奏を導くようにして旋律を奏で始めた。

 その旋律を頼りに、ピアノが徐々に音を取り戻していく。
 伴奏が安定しだすと、サラと香音さんはお互いに目を合わせ、頷き微笑み合った。

 サラの心は香音さんにある。
 優しい笑顔を向けるサラを見て、そう思わずにはいられなかった。
 わたしのほうがずっと前からサラを知っていたのに、最近知り合ったばかりの2人の間にはすでに他人が近づけないなにかがある。
 それは、1つの目標に向けて何度も一緒に演奏をすることで築かれてきた信頼関係や、仲間意識のような類のものも含まれているのかもしれない。
 でもそれ以上に2人の仲は親密に見えた。
 親密になりたい、と願っているようにも。

 記憶がなくなるまで飲んで酔っ払ったあの日、わたしは心のない空っぽの身体に触れただけだったという現実を嫌でも思い知らされる。
 触れた時のことを覚えていなくてラッキーだった。
 もしも覚えていたら、もう二度とサラとは友達に戻れなかっただろうから。
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