君を忘れてしまう前に
「サラ、仁花のレッスン見に行ったんだ。びっくり」
みつきが驚きながら、わたしとサラの顔を交互に見る。
涼は「なんで?」と首を傾げた。
「サラって同じ人の演奏は何度も聴かなくない? これから学内コンサートのリハとか本番で色々聴く機会があるのに、わざわざ見に行くなんて意外だなと思って」
「公開練習の直前にサラに演奏のことで相談に乗ってもらったんだよ。それで気にかけてくれてたんだよね」
「相談に乗ったからってその後のことをいちいち気にするようなやつじゃねぇよ、サラは。やっぱ、リカコ先生が目当て?」
涼が、おどけながらサラの肩をポンと叩く。
男同士の間に流れる独特な雰囲気を追い払いたいのか、みつきは顔の前でしっしっと手を振った。
「最低。帰れ帰れ」
「みつきには分かんねぇよ、リカコ先生のよさは。てか仁花もさ、せっかくリカコ先生のレッスン受けてんだから、ちょっとは役に立つような色気について学んでこいよ」
「なにそれ」
「はぁ、わっかんねぇかな。こっちがたまんねぇってなるようなやつだよ。それさえあれば、仁花だってすぐに彼氏できんのに」
わたしはその場で俯いた。
これまで彼氏は一度もいたことがない。
わたしにはずっと音楽しかなかったし、それ以外の世界を見てみたいとも思わなかった。
でも、サラと出会って誰かを好きになる気持ちを初めて知った。
入学してしばらく経ってからサラに声をかけられて、なんとなく一緒にいることが増えて、いつの間にか好きになっていた。
どうして好きになったのか、きっかけを思い出せないくらい緩やかな恋の始まりだった。
相手がサラなだけに、その気持ちを誰かに打ち明けることはできなかったけど、密かに思いを募らせる日々が好きだった。
ほんの些細なことでも、幸せだと感じられたからだ。
いつかわたしも、誰かに好きになってもらいたいと望むのは贅沢だろうか。
そして、その幸せを一緒に分かち合いたいと望むことも。
もちろん、相手は誰でもいいわけじゃない。
本音を言えばサラがいい。
でも、どうしてもそれは叶わない。
わたしは顔を上げて、強引に作り笑いを浮かべた。
「そっか。それさえあれば……わたしにもそのうちできるのかな、彼氏」
「無理だよ」
間髪入れず、サラが答える。
サラは頬杖をついたまま、ずっとそらしていた視線をわたしに向けた。
瞳がツキリと痛くなりそうな、尖った視線をわたしに――。
「仁花のこと好きになるやつなんかいんの? 男と一緒にいるとことか想像できねぇわ」
「ちょっと、サラ。それは言いすぎ」
身を乗り出して、まだ言葉を続けようとするみつきの腕を咄嗟に掴む。
みつきは眉を寄せて、わたしの顔を見つめた。