君を忘れてしまう前に



「大体、お前の言う友達って何?」

 サラはグランドピアノに肘をかけ、足を組み直した。

「一緒に帰ったり遊んだり、色んなこと話したり。あ、面白い話だけじゃなくて大切なことも相談できる人……かな」

「で?」

「で、って……サラは違うの?」

「俺は好き好んで人の相談なんかのらねーよ。練習終わった後、わざわざ誰かと一緒に帰んのも面倒くせーし」

「え、でも、私の相談はいつも乗ってくれてたじゃん。この間は練習室まで来てくれて一緒に帰ったし……何でサラは……」

「何でだろーな」

「ほんとは嫌だったけど私に付き合ってくれてたの? それなら言ってくれれば良かったのに」

 私の質問を聞くなり、サラはバカにしたように笑った。

「へぇ、じゃあ俺が嫌って言ったら全部やめてた?」

「サラの嫌なことはしたくないもん。やめるに決まってるよ」

「それ、俺じゃなくてもいーんじゃねーの」

「え!? 何でそうなるの、ちが、」

「違わねーよ。お前は一緒にいてくれるやつなら誰でもいいんだろ?」

「違う! 誰でもよくない!」

 興奮してパイプイスから身を乗り出した私を、サラは涼しい顔で見下ろした。

「ふぅん。じゃあはっきり言えば、俺がいいって」

「……は!?」

 動揺のあまり弾かれたように背を伸ばすと、パーカーのポケットから携帯電話が床めがけて滑り落ちていく。
 携帯電話はサラの足元まで転がると、はずみでバックライトが点灯し、ラインのポップアップ通知が表示された。

「……何で和馬の連絡先知ってんだよ」

 ディスプレイには和馬くん、と記されている。
 バックライトがやけに明るく光るその携帯電話を拾い、サラは冷たい視線を私に浴びせた。

「今日のお昼、中庭で会ったから……」

「中庭? 何でそんなとこにいんだよ」

「それは……」

 今日の中間発表でやらかしてしまった、自分の情けない演奏を思い出す。
 あの演奏をサラに見られてしまったのだ。
 今更ながら恥ずかしい。
 その演奏の後、隠れて泣いていたなんてこの場で知られるのはもっと恥ずかしい。
 しかもその様子を和馬くんに見られていて、慰められたなんてサラに知られたら……。
 一緒に居てくれるやつなら誰でもいいんだろ、と言われてしまったばかりだ。
 余計に話が拗れてしまうのは目に見えている。

「い……言えない! ごめん、今は言えない!」

「へぇ、秘密?」

「秘密ではないけど……」

「どうせ、和馬に優しい言葉でもかけられたんだろ」

 冷や汗がたらり、と頬を伝った。気がした。
 サラにはバレていたらしい。
 思わず俯いた瞬間、そうすることでサラに正解だと告げてしまったようなものだと私はひどく後悔した。

「ほんと隙だらけだな、お前」

「隙……? そんなつもりないけど……」

「あの日俺とやったこと、他の男ともすんの?」

「あの日……?」

 顔を上げると、私の目の前に携帯電話が差し出されていた。

「あの日って……」

 まさか。
 いや、でもちょっと待て。
 私の早とちりの可能性もある。
 今にも暴れそうになる胸を抑え、私は携帯電話に手を伸ばした。

「どうせ何も覚えてねーんだろ」

 やっぱりあの日のことだ。
 瞬く間に、手に大量の汗がにじみ出る。
 その冷えた手で差し出された携帯電話を受け取ろうとするも、サラの指にぐっと力が入り受け取ることができない。

「か、返して、サラ」

「お前の好きなやつって誰?」

「え!? ちょっといきなり何言ってんの?」

「言えねーの?」

「そんなの言えないに決まってる……、」

「友達なのに?」

「そうだけど……サラが知ってどうすんのよ? 私の好きな人とか興味ないじゃん、絶対」

「あるよ。だから教えて」

 いつになくサラは真剣な表情を浮かべている。
 でももしここで正直に言えば、直接本人に告白することになってしまう。
 それだけは絶対に避けたい。

「言えない。サラには言えない、ごめん」

「何で?」

「ごめん。それも……言えない」

「あっそ。ならいーわ」

 サラが携帯電話からパッと手を離す。
 急に重みがなくなり、よろめく私の手首をサラは力強く引っ張った。
 そのまま、ぎゅっと掴まれるも不思議と痛みはなく、代わりに触れられた部分から優しい熱が伝わって来る。
 サラの手ってこんなに大きかっただろうか。
 思えば、まともに触ったことなんか一度もないかもしれない。
 サラの中性的な顔立ちからは想像できないくらい、逞しくて、私の手首なんか簡単に折れてしまいそうだ。

「サラ……?」

「お前の顔、しばらく見たくない」

 明らかな拒絶に息が止まる。
 手首の拘束が緩まり、そのタイミングで私は逃げるようにしてサラの練習室を後にした。

 慌ただしく練習室の扉を閉め、背を向けて廊下に佇む。

 落ち着け。
 何でも良いから、ちょっと落ち着け。
 サラは私のことを友達とは思っていなくて、そばにいる人なら誰にでも頼ると思ってて、実はあの日のことを覚えてて。

 情報量がたくさんあり過ぎて頭が付いていかない。
 でもサラは終始、怒っていた。
 最後には顔さえ見たくない、と。
 私は何をしたんだろうか。
 そこまで怒らせるなんて一体、何を。

 胸が痛い。
 もうボロボロだ。
 泣いても泣いても、この痛みは癒えそうにない。
 どうして、ここまで振り回されなければいけないのだろう。
 どうして、私ばっかりこんな目に合わなければいけないのだろう。
 恋愛も、音楽も、何もかも上手くいかない。
 何もかも。
 何もかも。
 何もかも全部、大嫌いだ。
 歌も、ギターも。
 冷たい空気の漂うステージも。

―――サラも、私も、全部大嫌いだ。






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