君を忘れてしまう前に









「おはよ、仁花!」

 朝、大学の門をくぐったところで名前を呼ばれ、振り返るとみつきが笑顔で走ってきた。
 みつきには直接伝えようと思ってまだ何も連絡していなかったが、これは既に何かを知っている顔だ。
 私は少し照れながら挨拶を返した。

「ねえ、コンサートの後、どうなったの? 二人で帰っちゃってさ」

「つ……付き合ったよ……」

「おめでとう〜!! 良かったね、一時はどうなることかと思ったよ。私、サラが子ども過ぎて、仁花を傷付けないかずっと心配だったんだよね。でも仁花がそれだけ好きなら私も応援するよ」

「みつき……。みつきにはたくさん励まして貰ったよ。コンサートもみつきがいてくれたからちゃんと歌えた。本当にありがとう」

「何言ってんの、私は何もしてないよ。本当におめでとう」

「……ありがとう。あれ、サラと涼だ」

 みつきとサロンの近くまで歩いていると、中庭で二人が並んで歩いているのが見えた。

「おはよー!」

 声をかけると、二人が同時に振り向く。
 サラと目があって、ドキリと胸が高鳴った。
 今日もやっぱりかっこいい。
 こんな人が私の彼氏になったなんて信じられない。
 しかも昨日までサラの家にいて、何度も肌を重ねて……。

「おはよ」

「サ、サラ、おはよ!」

 危ない危ない。
 朝から思い出す内容じゃなかった。
 付き合えたことが嬉し過ぎて、一緒に過ごした時間を何度も思い出してボーッとしてしまう。
 これからは気を付けないと。

「サラ、聞いたよ。仁花と付き合ったんでしょ、おめでとう! これから仁花を泣かせるようなこと絶対しないでよね!」

「言われなくてもしねーよ」

「え、付き合ったの!? 二人?」

 涼は目を丸くさせながら、私とサラの顔を交互に見た。
 サラの言った通りだ。
 涼はまったく気が付いてなかった。

「そうだよ、ね。仁花」

 みつきに肩を組まれ、私はこくりと頷いた。

「まじか〜! え〜うそだろ! とりあえずおめでとう! 何がどうなったの? 詳しく教えて」

「詳しく言うのは……恥ずかしいよ……」

「いいじゃん! あ、そういや仁花ライン見た? 一緒に曲作ろうっていうやつ」

「そうだった。ごめん、返すの忘れてた!」

「いつできそう? 俺、ちょっと土日は全部埋まっててさ、平日もバタバタしてるし……。仁花がいけるなら、夜遅い時間に空いてる日があれば俺の家で作業すんのとかどう? どうせ宅録《たくろく》するつもりだったし」

「そうだね……、」

「はあ? 絶対むり」

 私が言い終わる前に、サラがかぶせるように返事をする。 
 サラを見るとかなり不機嫌そうな表情を浮かべていた。

「何でだよ……何でサラが返事するんだよ……」

「遅い時間とかふざけんなよ。一人暮らしだろうが」

「サラもじゃん」

「俺はそんな時間に人なんか呼ばねーよ。とにかく夜中に宅録とか絶対だめ。日中に大学でやれよ」

「それだとレッスンに間に合わねーよ! 成績に響く!」

「知るか、おまえの都合だろ」

「留年したらどうすんだよ!」

 二人のやり取りに思わず笑みが零れる。
 みつきも同じだったらしく、お互いに顔を見合わせた。

「あの、すみません」

 突然耳に届いた可愛らしい声の方へ振りくと、そこには女の子が数人立っていた。
 服装から見てクラシックの女の子達だ。
 サラに何か用があるのだろうか。
 サラと女の子達の間に立っていた私は、身体を横に避けて道を作った。

「米村……仁花さん……ですよね? コンサート見てました。凄く……凄く感動しました……!」

「コンサートで演奏されてた曲、私も欲しいんですけど……どうしたら手に入りますか……?」

 まさか。これは私のこと?
 驚いて固まっていると、みつきにとんとんと肩を叩かれる。
 ハッとした私は、女の子達の顔を一人ひとり眺めた。
 皆、目を輝かせている。

「あ……ありがとう……ございます。曲はデータしか持ってないんで、良かったら送りましょうか?」

 私の提案に女の子達の顔がぱぁ、と花が咲いたように明るくなった。

「嬉しいです〜! ありがとうございます! それから……握手とかして貰えませんか?」

「ど、どうぞ……」

 手を差し出すと、女の子達が代わる代わる握手をしていく。
 どこかのアイドルになったような気分だ。
 女の子達は満足したのか、連絡先を交換したあとその場を去っていった。

「びっくりした……。まさかクラシックの子達に声かけられるなんて……」

「あれ、仁花気付いてないの? 周り見てみなよ」

 みつきに言われ中庭を見渡すと、クラシックとポピュラーの生徒達があちこちで会話を交わしている。
 学内の様子が以前とは明らかに違う。
サラを見ると、彼は私に向かって小さく頷いた。

「コンサート、成功して良かったな」

 じわじわと胸が熱くなる。
 あの日の私達の演奏は確かに伝わっていたのだ。
 しかもこんな形でそれが分かるなんて。
 自分の演奏を聴いて、何かを受け取って貰えたなんてこれ以上になく嬉しい。
 もっと上手くなりたい。
 そしてもっと自由に音楽を楽しみたい。
そのためには、これからたくさん練習を積み重ねていかなければ。

「あ、予鈴だ。そろそろ行こ、仁花」

「ほんとだ。サラ、今日も授業が終わったら練習するの?」

「するよ」

「そっか、私もだよ。今日からまた頑張らないと。サラも頑張ってね! じゃあ、また後で!」

 サラに向かって手を振る。
 サラは見たこともない、柔らかな笑みを浮かべながら手を振り返した。

「じゃあな。練習が終わったら迎えにいくよ」






























『君を忘れてしまう前に』

本編〈了〉


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