君を忘れてしまう前に


 思えば、和馬くんは香音さんのことが好きなはずだ。
 サラと香音さんの仲が進展しそうな現状に、和馬くんも悩んでいるんじゃないだろうか。

「和馬くんもなにかあれば、いつでも連絡ちょうだいね」
「なにもなくても連絡していいですか」
「別にいいけど。用事ないのに変なの」
「なにそれ、わざと?」

 和馬くんが、見透かすような意地の悪い笑みを浮かべる。

「……え?」
 
 わたしが首を傾げると、和馬くんは顔を背けて「やば」と小さく呟いた。
 なにがやばいのか分からず、和馬くんの様子を黙って伺うことしかできない。

「あー。仁花さんは直接言わないとだめか」
「なにを?」

 ちらりとわたしを見た和馬くんは、軽く咳払いをした。

「仁花さんだけは放っとけそうにないんですよ、ぼく」
 
 和馬くんは、わたしがここで隠れて泣いていたのに気づいていたのかもしれない。
 予想外の言葉をかけられて少し驚いたけど、真剣な表情から本気でわたしのことを思って言ってくれているのが伝わってきた。
 精神的に追い込まれている今、優しい言葉をかけられたら頼りたくなってしまう。
 わたしは無理やり笑って首を振った。

「心配してくれてありがとう。でも平気だよ」
「誰かの前で泣いてもいいんですよ。ぼくが受け止めるんで。作り笑いもいらないです。そのままでいてください」

 和馬くんの言葉に涙腺を刺激される。
 でもこれはただの甘えでしかない。
 弱くて単純な自分の性格が大嫌いだ。

「こんなに簡単にへこんじゃって恥ずかしいな。ごめんね。めんどくさいなぁ、わたし」
「全然。嬉しいって言ったら怒りますか?」

 和馬くんの言葉に被せるように予鈴が鳴った。
 この後、J−POPの校舎で作曲の講義がある。
 すぐにでも向かわないと授業に間に合わない。

「ごめん、もう行かなきゃ」
「分かりました。じゃあ、また」

 和馬くんを置いて、振り向きもせずJ−POPの校舎へ向かう。
 危なかった。これ以上、一緒にいたら自分が駄目になるところだった。
 和馬くんはああ言ってくれたけど、ここで誰かに甘えたら、なんの成長もなく目の前の出来事が過ぎ去っていくだけになる。
 それは絶対に嫌だ。
 弱い自分を振り払いたくて、わたしは勢いよく地面を蹴った。
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