君を忘れてしまう前に


『誰かの前で泣いてもいいんですよ。ぼくが受け止めるんで。作り笑いもいらないです。そのままでいてください』

 壊れたボイスレコーダーみたいに、和馬くんの言葉が頭の中で何度も繰り返し鳴り響く。
 おかげで今日の作曲の講義はなにをしたのかほとんど覚えていない。
 すべての授業が終わって練習室まで来た今もそれは変わらなかった。

 所々錆びついたドアの前で、カバンから鍵を取り出す。
 手の中で揺れる鍵をぼぅっと見つめていると、さっき和馬くんに言われた言葉がまた耳の奥で鳴った。
 やっぱり、誰かに依存するような優しさは受け入れるべきじゃない。
 和馬くんは優しいから、ああやって言ってくれただけだ。
 けれど、わたしの心は情けないくらいぐらぐらと揺れていた。
 
 コンサートホールでサラと目が合った時のことが脳裏に浮かぶ。
 冷たい視線だった。
 すぐに逸らされはしたけど、ある意味それでよかったのかもしれない。
 きっと、あの視線にしばらく射抜かれていたらわたしは二度と立ち直れなかっただろう。

 大きな溜め息をつく。 
 やっぱりこのまま練習しても身が入りそうにないから、サロンで飲み物でも買ってこようかと、また続けて小さな溜め息をついた時だった。

 後ろから足音がして振り向くと、可愛らしい女の子が通り過ぎて行く。
 クラシックの校舎でよく見かける服装だ。
 はっとするくらい目鼻立ちが整っていて、勝手に目がその子を追う。
 女の子は廊下の一番奥にある練習室の前に立つと、コンコンとドアをノックした。

 ゆっくりとドアが開く。
 中から出てきたのはサラだった。
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