君を忘れてしまう前に
サラは一言も喋らずに、グランドピアノのイスに腰掛けた。
向かい側にあったパイプイスにわたしも腰を下ろす。
久しぶりに近くで見たその横顔は、芸術的なラインを描き、気品に溢れていて絵本から飛び出してきた本物の王子さまみたいだ。
サラには嫌われたと思っていたけど、練習室に呼んでくれたのならそれはわたしの勘違いだったのかもしれない。
これから何事もなく友人としてまた仲よくやっていける希望も湧いてきた。
けれど、わたしの密かな期待とは裏腹に室内の空気は酷く重苦しかった。
かなり気まずい。
こくりと喉を通る唾液の音がやたらと大きくて、サラに聞こえてはいないだろうかと気を使うくらい室内は静まり返っていた。
やっぱり、勘違いだったと思っていたこと自体が勘違いだったんだろうか。
なにも喋らず、ニコリともしないサラの態度は、仲のいい友人に対するものじゃない。
なにかに苛立っているのか、不満そうな表情を浮かべ、嫌悪にも似た思いを抱いているようにしか見えなかった。
いや、これもわたしの勘違いかもしれない。
どうか勘違いであって欲しい。
そんな願いを込めて見つめていると、サラがちらりとこちらに視線を投げる。
「どうしてんの、最近」
「ま、まあまあ……かな」
「ふぅん」
サラは、すぐに顔を背けた。
わたしの日常に興味があるわけがないのに、挨拶代わりの質問にいちいちドキドキしている自分が恥ずかしい。
「サラは最近どう? いい感じそうだよね」
「よさそうに見える?」
「調子よくないの」
「全然」
今日の中間発表で完璧な演奏をしていたサラからは、微塵もそう感じられなかった。
むしろ演奏レベルがさらに上がっていたし、いつもよりもキラキラしているように見えたのに。
「なにかあったの?」
「別に」
素っ気ない返事が返ってくる。
「またわたしでよかったら、いつでも話聞くよ」
「言ってどうなんの。慰めてくれんの?」