君を忘れてしまう前に
――なにも、怖がらなくていい。

 サラがわたしに言ってくれた言葉だ。
 じわりと涙が滲む。
 その後もリカコ先生は時間の許す限り、わたしに優しく語りかけてくれた。

 レッスンが終わって廊下を歩いていると、同じくレッスンを終えたみつきとばったり出会った。
 最近、みつきとはまともに話せていなかった。
 サラとのことや演奏のことで深く突っ込まれたくなくて、あえて避けていた部分もある。
 申し訳なく思うわたしを気遣うように、みつきは明るく手を振ってみせた。

「なんか久しぶりだよね。ちょっと痩せてない? 夜はちゃんと寝て、しっかり食べなきゃ」

 ハッとした。
 わたしが自分のことばかり考えている間も、みつきはずっとわたしのことを心配してくれていたのに。

「……ごめんね」
「どうしたの、急に泣き出して」
「涙腺壊れたのかも、わたし」
「1人で頑張りすぎなんじゃない? わたしにもちょっとは分けてよ、辛い気持ち」

 思わずみつきに駆け寄り、勢いよく肩に抱きつく。
 こんなことをお母さん以外の誰かにしたのは初めてだ。
 みつきは驚いた声を上げた後、「重いよ」と笑いながらわたしを抱きしめてくれた。

 柔らかな手が、わたしの背中をとんとんと撫でる。
 その手の温もりから、わたしが正直な気持ちを吐露するのを待っててくれていたみつきの優しさが伝わってきた。
 サラとのことを話せなかったのは、みつきに引かれたらどうしようと不安に思っていたからだ。
 どうしてわたしはこの子を疑ってしまったんだろう。
 こんなにわたしを大切に思ってくれていたのに。

 今までわたしは、皆が向けてくれる優しさを当たり前のように受け取っていた。
 こんなわたしと一緒にいてくれた人達は誰だっただろう。
 こんなわたしを応援してくれていた人達は誰だっただろう――。
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