君を忘れてしまう前に
「香音さん、少し前から腱鞘炎になってたみたいですよ。本当はすぐにでも手術しないといけないくらい、ひどい状態みたいです」
「香音さんが……?」
「サラさんはコンサートの出演は見直したほうがいいんじゃないかって言って、何度か香音さんと話し合ったみたいなんですけど。今回のコンサートの成績次第でパリの音楽院に推薦してもらえる話があるらしくて。それで無理やり出るそうですよ」
公開練習の時にミスタッチを繰り返していた香音さんの姿が、フラッシュバックのように頭の中で瞬いた。
あれは腱鞘炎の影響だ。
普通に動かすだけでも痛いだろうに、細かい動きが続く演奏を何度もしなくちゃいけないなんて――想像ができないくらい辛いはずだ。
「すっごい根性ですよね。サラさんもかなりフォローしてるみたいですけど。あ、でも実際に演奏を見てる仁花さんのほうが詳しく知ってるか」
言葉が出ない。
香音さんはステージに上がっている間、手首の状態が悪いことを微塵も感じさせなかった。
それどころか見る度に演奏のレベルがどんどん上がっていた。
サラだって。
皆、どんな状況に置かれても日々コツコツと練習を重ね、苦しいことや辛いことがあっても、それを悟られないようにステージに上がって演奏している。
それなのにわたしは――。
『香音さんみたいになりたかった』
できない言いわけばかりを並べて、現実から逃げて、香音さんに嫉妬していた自分が死ぬほど恥ずかしい。
誰よりも努力しているといつの間にか勘違いしていたからだ。
そのくせ、最近は恋愛のことばかり考えて真剣に練習もしていなくて。
わたしはなに一つ、まともに音楽と向き合っていなかった。
選抜試験にもギリギリ合格できたレベルなのに。
余裕で合格しているサラや香音さんでさえそれだけ頑張っていて、わたしに同じステージに上がる資格があるはずがない。
なんて恥ずかしいんだろう。努力が足りない。足りなさすぎる。
もっともっと頑張って、なにがあっても踏ん張って立ち向かっていかないと。
「和馬くん、ありがとう! ごめん、先に行くね」
「あ、」
和馬くんに手を振って、J−POPの校舎へと駆け足で向かう。
今は一刻も早く練習がしたくて仕方がなかった。