Love Terminal

第2話 今が良ければそれでいい

「減るもんじゃないし、良いだろう?」
「よ……、良くないです……!!」

 36歳くらいの、出会って間もないイケメンお兄さんに、突然キスされた。
 嫌とまでは言わないけど、好きな人以外としたのは正直初めてだ!!

 お兄さんは私の動きを封じたまま、さっきからずっと笑顔のまま。
「嫌だったら逃げれば良いのに」
 自分の置かれた状況がいまだに飲みこみきれなくて、私は逃げることを思いつかなかった。逃げだしたところで、駅の外には何もないし、誰もいないし、結局、ここに戻ってきてしまうのだろうけど。

「危害を加えるつもりはないから。怖がらないで」
「こ、怖くはないです……」
「本当に? 顔はひきつってるけど」
「それはっ!」
 お兄さんが突然変なことするからです!!
 と言おうとして、再び近付いてきたお兄さんから顔を背けることに今度は成功した。

 お兄さんはその後、いろんな角度から迫ってきたけど、私も負けずに逃げ続けた。
 今まで付き合ったどの人よりも、お兄さんはいちばんかっこ良くて、こんな人が彼氏だったら周りに自慢してると思う。でも、いま彼に対して好きという感情はない。

「わかった、ごめん。僕が悪かった」
 お兄さんはそう言うと、ようやく私を解放した。
「……逃げて良いんだよ。まぁ、行くところはないだろうけど」
 ぽつりと言って立ちあがり、お兄さんはホームの端へ行ってしまった。


(頭の中、整理しよう……)

 私は確かに、いつも通りに終電に飛び乗った。
 それからしばらくして、眠っていたらしい。
 あのお兄さんが隣にいて、肩を貸してくれていたらしい。
 終点についても私は目覚めず、お兄さんがここまで運んでくれたらしい。

 お兄さんの言うことが本当なら、お世話になりすぎだ。
 ……きっと彼は、嘘をついていない。
 鞄から取り出した携帯電話で見た日付は、昼間に会社で何回も書いた分の翌日だ。

(好き……じゃないけど……)

 微かに残る唇の感触は、まったく嫌な感じはしない。
 それ自体が久しぶりだったせいか、それともお兄さんがかっこ良かったからか、何度も脳裏によみがえった。仕事に疲れた私を癒してくれるような気さえした。

(でも、あの人は、気まぐれだったのかも……私のことなんか、知らないはず)

 考えるのはやめにして、私は一度、座りなおした。もともと人が少ない駅が、今は本当に誰もいない。
 私とお兄さん以外。駅の両端に街灯はあるけど、どちらもチカチカ点滅していて、いつ消えてもおかしくない。
 待合室のない駅は、これからの季節、待ち時間が億劫だ。

 冷たくなった手を「はぁー」っと息で温めた。
 暗闇の中で普通の腕時計は文字が見えなくて、携帯電話も、いつの間にか電池切れだった。
 駅のホームの時計を見ると、午前1時を回っていた。

(お兄さん……何してるんだろう……)
 荷物はそのまま置いておいて、私はお兄さんを探した。

 お兄さんは、ホームの端の柵にもたれ、タバコを吸っていた。
 私に気付くと、くるりと向きを変えて外を向いてしまった。
「──ずっと、ここにいたんですか?」
「まぁ。何もすることないし。……僕はショウジ。君は?」
「え? あ……、チサコです」
「チサコちゃん……タバコ、大丈夫?」
 ショウジさんは遠くを見たまま、私から煙草を遠ざけた。
 反対の手に握られていた携帯灰皿には、何本も吸殻が入っているのが見えた。
「吸わないですけど……ちょっとなら、大丈夫です」
「ごめん、消そうか」
 言ってから、ショウジさんは持っていた煙草を灰皿に押し入れた。
 それから手持無沙汰になったのか、ショウジさんは両手をポケットに入れた。


「チサコちゃんは、ひとり暮らし? いつも、ひとりだけど」
「え? ショウジさん……私のこと、知ってるんですか?」
「知ってるって言うか、電車で見る程度だけど」

 あれから私とショウジさんは、最初に座ったベンチまで戻ってきた。少しでも温かくなるように、並んで座った。
 ショウジさんが「くっついたほうが温かいよ?」と言ってきかないから、 私は渋々、彼の腕に抱かれることになった──絶対に何もしないこと!という条件付きで。
 私は荷物の中に大判のストールがあったのを思い出して、ショウジさんと2人で包まった。
 ショウジさんの言う通り、だんだん温かくなってきた。

「彼氏もいないでしょ?」
「な……っ、それは……!」
「当たりだね。ま、そうだと信じてキスしたんだけど。それに、もしいたら、こんなにくっつかないと思うよ」
 私は無意識のうちに彼にピッタリと寄り添っていた。
 急に恥ずかしくなって彼から離れようとしたけど、それは失敗。
「ダメ、温度が下がる! 風邪ひくよ! 絶対、何もしないから」
 私は自分のストールの中で、しっかりとショウジさんに抱きしめられている。

「しょ、ショウジさんは、どうなんですか? 家族は……」
「僕もひとり暮らしだよ。仕事の都合でこっちに出てきて、帰りはいつも遅い。だからよく、終電で疲れきってるチサコちゃんを見てた」

 ショウジさんは首を傾け、私の頭にコツンと乗せた。
「心配してたんだよ。僕よりは絶対若いのに、いつも遅いし、ひとりだし。夜道で襲われたりしてないか、気になってた。でも今日は安心だ」
 ショウジさんは私を抱きしめる腕の力を強めて、やさしく呟いた。
「僕が朝まで守ってる」


 本当にヤバい。
 私の心臓が、ドクンという音が、確実に早くなってきている──。

 この人を、ショウジさんを好きになってしまった?
 それとも、優しさにやられてしまった?
 非日常なこの現実で、平常心を失ってしまった?

「本当は、もっと良い形で言いたかったんだけど」

 ショウジさんは少しだけ力を緩めて、私のほうを見た。何がそうさせているのかはわからないけど、さっきまでのショウジさんとはなんとなく雰囲気が違って見えた。

「ずっと好きだったんだ、チサコちゃんのこと」
 聞き間違いだとは思えないくらい、ショウジさんははっきり言った。

「──あの、私……ショウジさんのこと全然……」
「ごめん、また、困らせた」
「……ショウジさんは、独身、なんですか?」
「うん。バツイチとかに見える?」
「いえ、そういうわけじゃ……かっこいいから、彼女か奥さんいるのかなって」

 ショウジさんはしばらく何も言わなかった。
 じっと前を見て、考え事をしているように見えた。
「急に言われても困るか。僕はずっと見てたけど、チサコちゃんは、僕は初対面……警戒されて当然だね」
 ショウジさんは笑いながら、溜息をついた。
「チサコちゃんが彼女だったらな、って思ったけど……今日は諦めるよ」
「──ごめんなさい。あ、でも、嫌いではないです。お世話にもなって、感謝してます。今は、何て言って良いのかわからないですけど……またいつか、会いたいです」

 本当に、そう思った。
 ショウジさんの言っていることを全部信用して良いのかはわからないけど。
 悪いことをしようとしてるようには、思えなかった。

「もし、今度会ったら──連絡先、教えて? 今日は良いよ。待つ楽しみが減るから」

 ショウジさんの言葉に、私は笑顔で「はい」と返事した。
 それを何かの合図と思ったのか、ショウジさんは再び顔を近づけてきて──私は逃げなかった。
 重ねられた唇は脳を心地よく刺激した。やがてお互いの舌先が深いところで絡み合い、透明な糸をひきながら何度も何度も求めあった。暗闇に響き渡るキスの音さえ私は楽しんだ。

 今が良ければそれでいい──なんて、全然、私らしくない。
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