愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~
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翌日、本来行くべき王宮の前に、私はCDショップにいた。
昨日ふらふら街を歩いていたおかげで、へーこんなとこにCDショップなんてあるのかと覚えていたのが役に立った。
しかし店の中の表記は全てドイツ語。
必死にクラシックがあるエリアを見つけ、そこでピアノのものらしきCDを片っ端から捜した。
だが昨日聞いた彼の名前も知らなければ、顔もわからない。
チケットを見たけれどそこには何も書かれていなかった。
あれだけ凄いのだ、きっとCDの一枚や二枚あると思っていた。
だが見つけられないのか、それともデビューしたてなのか。
私は肩を落として店を出た。
「だっ」
すぐさま壁にぶつかり、変な声が出た。
だがそれは人だとわかり、私は急いですみません!とお辞儀をした。
そして、あぁここはウィーンだった、ソーリーと言おうと顔を上げれば、驚いた顔の男性がいた。
「あー!」
「君か」
サングラスを軽くあげ、また眉をひそめて私を見下ろしていたのは、昨日助けてくれたイケメンだった。
運命だ!と感じると同時に、助けだ!とも思った。
「今、時間ありますか?!」
「なんで」
「聞きたいことがあるんです!」
ぶっきらぼうな彼の声と返答を待たず、私は斜めがけのバッグから昨日のチケットを取り出した。
「このコンサートでピアノを弾いていた人、知りませんか?!」
チケットを背の高い彼に見えやすいよう上に持ち上げると、彼はそれを見て一瞬顔をピクリと動かしたように見えた。
「・・・・・・なんで知りたいんだ?」
彼が聞いてくれたこということはチャンスがありそうだ。
「凄かったんですこの人!
私、昨日立ち見席で人の隙間からしか見えなかったんですけど、もう音が凄かったんです!
こんなにピアノって凄いのかって感動して!
初めてでした、あんなにピアノが楽しそうに思えてワクワク感じたのは!
ホールから出ても胸が一杯のままで、ほんとに凄いの聞いたんだなって眠れなかったほどで」
「さっきから凄いしか言ってないな」
「仕方ないですよ、凄いしか言いようが無いんですもん」
もっと音楽として上手く表現出来る能力、語彙力があればどんなに良かったか。
だが凄かったのだ、身体が震えるほどに。
手を動かし興奮して言ったが、彼は平坦に答えるだけ。
もしかしてあのピアニストが嫌いなのだろうか。
というか音楽が嫌いな場合はどうしようかと思えてきた。
「で、そのピアニストのCDが欲しくてショップに行ったと」
「そうです。
けど見つけられなくて。
名前も顔もわからないけど、何とかならないかと」
「名前も顔も知らなくて、音楽も聴けないのに無理だろ」
「だから知りませんか?!」
縋るように彼を見上げると、彼は大きなため息をついた。
「君、名前は?」
「篠崎 楓です」
「カエデ?
あれか?木の名前のヤツか?」
「そうです」
「へぇ、Mapleか」
「英語で、そうも言うようですね」
「で、楓、今日の予定は?」
低い声で名前を呼ばれ、胸がドキリとする。
さすが海外、すぐに名前を呼ぶのが普通なのだろうか。
しかしなぜ私の予定を聞いてくるのか、わからない。
「で、予定は?
どこか観光するんだろう?」
「えっと、王宮に行こうと思って。
シシィミュージアムに行きたいんです」
「へぇ」
聞いておいてへぇ、は無いでしょ?!
ムッとすると、彼はなぜか軽く笑った。
あ、なんか可愛い。
無表情で冷たそうに見える人の微笑って貴重だよね、ってそうじゃない。
自分にツッコミを入れ、揶揄われている以上もう彼から離れようと決意した。
「昨日はお世話になりました。では」
「楓」
お辞儀をして立ち去ろうとしたら、彼はまた名前を呼んだ。
う、彼に名前を呼ばれるの、結構こそばゆい。
そもそも男性に名前を呼ばれる経験なんて無いし。
何で呼ばれたのか分からず上目遣いに見ると、彼は腕を組み、片手を顎に当て考えているようだった。
「久しぶりのオフで暇だったしな。
観光、付き合ってやる」
「はぁ?!」
なんでそうなるの?!
私は驚いて声を出した。
「どうせ一人だろう?」
「そうだけどなんで貴方が一緒に来るんですか!?」
「仕事でウィーンはよく来るんだが、考えてみれば観光なんてしたこと無くてな」
「いや、貴方ほどのルックスの人、誘えばいくらでもお相手いるでしょ?」
あれか、ロマンス詐欺か。
女の一人旅行、傷心しているのが理由とつけいる気か。
警戒していますと必死にアピールしながら睨んで見上げると、彼は目を丸くしてまたくくっと小さく笑う。
「そうだな、俺といると得をするぞ?」
楽しげに私を見下ろす青い瞳。
私は意味が分からず、口をへの字にする。
「スリに遭いにくくなるってこと?」
真面目な顔で答えると、今度は身体を丸めて口に手を当てて肩を震わせていた。
真剣に答えたのに、そこまで笑う理由が分からない。
彼が身体を起こし私を見下ろす。
最初に会ったときのような冷たい表情では無く、細まった目は面白そうに私を見ている気がした。
「学生の子供一人を歩かせるのは心配だからな」
「あの、私、25歳ですけど」
まさかの言葉にムッとして答えれば、目を細めていた彼の目が今までになく丸くなる。
「嘘だろ・・・・・・」
「失礼な!立派な会社員ですよ!
いや、会社員だった、だけど」
最後は小さな声になる。
そう、私は会社員、だった。過去形だ。
だからこうやって海外旅行に来ているわけで。
頭にぽん、と手が乗った。
見上げると彼は優しげな表情で私を見ていて、また胸がドキリとしてしまう。
「そうか。
とりあえず王宮に向かうか」
彼は歩き出し、私も仕方なく彼に続く。
もう一緒に観光するのは決定したらしい。
「ところで貴方の名前は?」
そう言えば大切な事を聞き忘れていた。
彼はなぜか口角を上げ、
「レン、と呼んでくれ」
「レン?
それはドイツ語?そもそも苗字なの?名前なの?」
「王宮までここからだと距離があるが、地下鉄を使うか?
それともトラムに乗るか?
観光馬車もあるがそれがいいか?」
「いやいや、観光馬車は高いからパスで!」
「ならせめて景色を見ながら良いだろう、そこからトラムに乗れる」
彼が私の手を自然に取ってスタスタと歩き出した。
彼の長い足は私の歩幅に配慮してか少しだけテンポはゆっくり。
自分の手を握っているその手に視線を落とす。
私の手を軽々包むような大きな手。
そして綺麗な指先。
整った生き物は細部まで綺麗なのだろう。
そういえば名前の話は誤魔化されてしまった。
もしも何かの詐欺とかだったとして、私はもともとお金はあまり持っていない。
絵画を買ってと迫られても無理だから大丈夫だろう、きっと。
見知らぬ土地で、昨日会ったばかりの格好いい人が私の手を繋いでいる。
海外で気持ちが大きくなっているのだろう、こういう普通はあり得ない世界を味わうことを楽しむのも良いかもしれない。
きっと私を知る友人達からすれば驚くような行動だし、自分だって信じられないほど大胆だ。
でも今は何もかも忘れ、私は彼とこのウィーンを楽しみたいと思った。