僕の欲しい君の薬指
榛名さんはとことん心臓に悪い。それから、私を甘やかし過ぎだと思う。
榛名さんが甘やかすから最低な私はこの人に甘えてしまっている。このままだと駄目人間になってしまう気しかしない。
だけど榛名さん以外に頼る人もいないし、ここ以外に身を寄せる場所もないのが現実で…ここに住まわせて貰っている間にアルバイトでも見つけてお金が貯まったら改めて物件を探そうと密かに心に誓いを立てる。
「榛名さん」
「じゅーじゅ」
無言でいるのも忍びなくて相手の名前を呼んだのだけれど、榛名さんからの返事の意味がよく分からなくて私はきょとんとした顔をしたまま首を傾げた。
背凭れに預けていた身体を相手が起こした拍子に、ぐっと私達の距離が物理的に縮まった。それか頬を軽く抓られる。
肉が付いている私の顔は伸びが良く、間抜けな顔をしているのはまず間違いない。それでも私の顔を覗き込んだ彼は、甘く蕩ける様に自らの貌を綻ばせる。
「俺の名前、珠々だから」
「存じてます」
「存じてくれているなら、榛名さんじゃなくて珠々って呼んでくんねぇ?」
“いつ月弓が珠々って呼んでくれるかなーって待ってんだけど”
落とされた台詞に胸が高鳴るのは必然だった。困った様な苦笑いを滲ませた相手に「珠々って呼んでよ、月弓」と更に追い打ちを掛けられる。その言葉に何も答えられずにいると「呼んでくれるまでこのまんまな」と耳元で意地悪に囁かれた。
これまでの人生、天糸君以外の異性の下の名前を呼んだ経験のない私には、榛名さんを珠々と呼ぶにはハードルが非情に高い。ドキドキと脈拍が速くなって緊張で手に汗が浮いた。
「じゅ…じゅ」
「もう一回」
「珠々…さん」
「さん付けもなし」
「珠々」
耳を澄まさなければ拾えないであろう小さな小さな声が、手に持たれている檸檬紅茶に溶けていく。だけど相手の鼓膜にはしっかりと届いてくれた様で、漸く頬が解放された。