その涙が、やさしい雨に変わるまで
 僕と黒澤くんと松田さんとの間だけのこと――核心を告げる菱刈のセリフに、堅苦しい呼称はすべてなくなっていた。

 三琴が松田さんと呼ばれるのはいつものことで、これに驚きはない。でも菱刈が瑞樹のことを「副社長」でなくいつまでも「黒澤くん」と呼ぶことに、三琴は慣れないでいた。

 業務中に呼び出しをもらって、会えば目の前で豹変されて、くどくどと愚痴られる……ころころ変わる菱刈の姿に翻弄されて、思考しようにもなかなか集中できない三琴がいる。

 年齢的には瑞樹のほうが年下で、菱刈の後輩になるから、「くん」付けはおかしくはない。ここは社外のカフェであれば、かしこまることもない。会話をする相手が、とても親しい間柄であるのならば。
 しかし三琴と菱刈はそんな間柄でない。だから、こうも焦るのだ。

 三琴が軽くパニックに陥ってなかなか平静に戻れない間にも、そこはヨーロッパ事業所のエース、菱刈はお構いなしに淡々と先を進めていく。

「その企画書には、三人の名前が挙がっています。発案者の黒澤くんと、黒澤くんの現地実働部隊の僕と、将来の現地スタッフ候補の松田さんという三人です。これをみて、僕はてっきり黒澤くんがあなたを連れてヨーロッパへくるのだと思っていたのです。ところが、あなたは会社を辞めるというから、もうどうなっているんだと」

 菱刈は受付カウンターでみせたあのポーカーフェイスを取り戻していて、さりげなく重大事項を吐き出したのだった。

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