その涙が、やさしい雨に変わるまで
――先ほどは驚かせてしまったようで、申し訳ない。
――あのあと考えたのだが、松田さんのいう「知らないこと」は、やはりきちんときいておくべきだと判断した。
――誠に勝手だが、来週の日曜の午前八時から九時までの一時間、時間を取ることができた。デルリーン・リッツ&コートヤードのグランドフロアまでご足労願いたい。
――返事は不要。乗り気でなければ、待ちぼうけに甘んずる。

 備品庫での会話は、中途半端に切れてしまった。そのせいで三琴はスッキリしない気持ちを抱えてしまったし、彩也子の推しとファンの良好な関係をうらやましく思ったりもした。

 瑞樹が気にしている「知らないこと」は、彼の推測どおり、決して彼の耳にいい響きをもたらすものではない。彼は業務についてだと思ってるみたいだが、違う。あれは極めてプライベートな案件で、これから美沙希と結婚していく上ではマイナスにしかならない。
 
 拒否権は三琴にあると明示してある。三琴が動かなければ、「知らないこと」は知らないままで終わる。
 どうするのが一番いいのかは、わかっている。わかっているからこそ、何も告げずに退職することを三琴は選んだのだ。
 そうここは、拒否権を発動してデルリーン、よりによってデルリーンなんだとさらに三琴は凹んでしまうのだが、へいかなければいいのだ。ありがたいことに返事は不要。断りの文面だって考えなくていい。

「…………」

 呼び出されてもいかない、返事だってしない。これは業務外のことである。瑞樹と自分は、今の上層階とグランドフロアの住人のままで退職日を迎えるのが一番無難。
 そうだとわかってはいるのだが……

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