その涙が、やさしい雨に変わるまで
 時間が早いせいで、来園客はそんなにいない。ここがバラ園の中でも一番奥まったフレグランス・ガーデンだからというのもあるが、それは今だけのことだろう。
 
 ほぼ無人に近い芳香のバラ園で、バラの花の中で、バラの花陰で、三琴は深呼吸をした。
 午前の淡い花の香りであるとしてもたくさん吸えば、体の中でくすぶっていた良くないものが、消えてなくっていくような気がする。

(想像したのよりも香りは強くないけど、このくらいのほのかな香りがいいかも)
(いろいろな香りが混ざっていて……癒しの効果、抜群!)
(誘ってくれた脩也さんに、感謝だわ)

 天然の香水を楽しんでいると、カシャリとシャッター音がした。
 不意の人工的な音に三琴はびっくりして、小さく悲鳴を上げてしまった。

「あ、ごめんなさい! 驚かせちゃった」
 謝罪の声に振り向けば、ガゼボの入り口でペロリと舌を出した春奈がいた。
「花に酔う乙女って感じで、思わず撮っちゃた!」
 手にしているカメラを持ち上げながらやってきて、そう春奈が告げたのだった。

 春奈はひとりで、写真を撮っていた。
 解散したときは、夫婦で並んで場所移動していたはずなのに、だ。
「裕介さんは?」
「脩也さんとミーティングしているよ。夫婦だからっていっても、うちは別行動の多い夫婦だから」
 あっけらかんと、春奈はいう。

「同じフォトの仕事をしているといっても、私は基本的に家の外へ出かけていて、夫は室内作業ばかりなんだ。今日は珍しく揃いの夫婦なのよ~」
 先まで三琴に向けていたカメラを、今度は東屋天井へ春奈は向けた。

「あら、いい感じ。いまの時刻ならではの絵が撮れる!」
 三琴が深呼吸したのと同じように春奈も東屋の中から天を仰いで、つるバラを撮影していった。

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