我慢ばかりの「お姉様」をやめさせていただきます~追放された出来損ない聖女、実は魔物を従わせて王都を守っていました。追放先で自由気ままに村づくりを謳歌します~
「誰か! 誰かいないのか!」
 森の中を進んでいると、少し先の方から男の人の叫び声が聞こえた。きっとギーさんだろうと思い、私はずんと重くなる足をなんとか速めて精一杯声のほうに向かって走る。
「助けてくれ!」
 やっと視界が開けたかと思ったら、昨日私に石を投げた男性のひとりが、地面に這いつくばって大きな影から逃げている光景が飛び込んできた。
 ――あの人がギーさんで、この大きな影の正体は……。
 上を見ると、紫がかった黒い毛をした双頭の巨大魔物がいる。これは上級魔物のオルトロスだ。有名な番犬、ケルベロスの弟分ともいわれている。普通に退治するとなれば、それなりに腕のある剣士や魔法使いの力を要するだろう。
「オルトロス、止まって!」
 私は基本的に魔物と姿を互いに認知しあい、心を通わせることで魔物を従わせる力を発揮する。しかしオルトロスは目の前のギーさんしか見ておらず、距離もあるせいか私の声は届いていない。
 どちらか一方だけでも私を見てくれたらいいのに、これじゃあギーさんがやられちゃう……!
「……ユーイン!」
 無我夢中で、私はその名前を呼んだ。するとものすごい速さで誰かが茂みから飛び出し、間一髪のところでギーさんを抱えてオルトロスの攻撃を避けた。
「……呼んだか? アナスタシア」
「はぁっ……はぁっ……呼んだわ。ていうか、もっと早く出てこられなかったの?」
 ギーさんを抱えたまま涼しい顔で私を見るのは、当然護衛騎士のユーインで。私は息を切らしながら、あまりにギリギリの救出になったことに不満を漏らした。
「当然、言われなくても出ていくつもりだった。その場合、違う助け方をしていたかもしれないが」
「……魔物にむやみに手を出すのはやめてって言ったでしょう」
「こういった場合はやむを得ないと判断する。まぁ、結果的にどちらも傷ひとつないのだからいいだろ」
 それはそうだけど――って、今はユーインと口論をしている場合ではない。
「オルトロス!」
 私は改めて魔物の名前を呼ぶ。すると、今度はしっかりと四つの三白眼が私を捉えた。
「は、早く逃げないと、襲われる……!」
「大丈夫だ。見てろ。世にも奇妙なやり取りが見られるぞ」
 近くでギーさんの怯える声が聞こえたが、ユーインが宥めてくれていた。そのあいだにオルトロスと意思疎通を試みる。私を魔物使いのアナスタシアだと判断したオルトロスはすぐに大人しくなり、だらんと体勢を崩した。まるで安心しきった犬だ。
【アナスタシア、噂は聞いている】
【まさかこの森で会えるとは】
 ふたつの頭はそれぞれ私に語り掛け、頭を下げて鼻で私の頬をつんとつついた。
「よしよし。いい子ね。ふふっ! 私も会えて嬉しいわ」
 両手で二体の頭を撫でてみる。クロマルよりは硬い毛質をしているが、身体が何倍も大きいからか、もふもふ度はこちらのほうが高い。この双頭に挟まれたらもふもふ天国を味わえるのではないか。
「……ど、どうなってるんだ? やはりこの女は人間の姿をした魔女なんだな⁉」
「だとしたら、彼女は石を投げてきたお前を救おうとしないはずだろう。俺はお前を救ったが、それは彼女の意思でもあったのだから」
「じゃあ、なんで……」
 もうちょっとオルトロスとの時間を楽しみたいところだが、そろそろギーさんの混乱を解かないと。ユーインも私の口から言わせようと思っているから、不思議がっているギーさん相手に口をつぐんでいるに違いない。
「私、特別な力があって――」
【アナー!】
 魔物使いのことを打ち明けようとして遮られるのは本日二度目だ。
「クロマル!」
 別の仕事を任せていたクロマルが、ユーイン同様茂みから飛び出してきた。クロマルはそのまま私の胸の中に勢いよく飛び込んでくる。
【やっとどこにいるか見つけたよ! この森のボスはオルトロス様なんだけど……さっきこっちに向かってて……】
「そうね。たった今挨拶したばかりよ」
【えっ? えぇっ!】
 クロマルは私の腕の中で慌てふためき、隣でおとなしく座っているオルトロスを見て驚愕していた。気づかず私めがけて飛び込んできたのかと思うと、このドジっぷりがますます愛らしく思える。
「オルトロスを見つけた瞬間、そうじゃないかなとは思っていたの」
【先に見つけられるなんて、アナの役に立てなかった……】
「そんなことないわ。いっぱい走ってここまで追いついてくれたんでしょう? ありがとう」
 しょぼんとするクロマルを撫でて頬に軽くキスをすれば、あっという間にクロマルの機嫌は治った。
「ほらな。言っただろう? 世にも奇妙なやり取りが見られると」
「……これは夢か? 俺はなにを見せられているんだ? 魔物って……こんなに人間に懐くもんだったのかよ……」
 力が抜けるように、ギーさんがへなへなとその場に腰を下ろして項垂れている。私はその様子を見てクロマルを一旦腕から下ろすと、ゆっくりとギーさんのもとへ歩き手を差し伸べる。
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