転生アラサー腐女子はモブですから!?
「アイシャ様、ルイーザ様がお待ちでございます」

 リンベル伯爵邸のエントランスでアイシャを出迎えた執事の言葉に、心臓が嫌な音を立てる。

(イヤな予感がする……)

 過去を振り返ってみても、お小言を言われる時は決まって、笑顔を貼り付けた母が私室で待っていた。それは、絶対に逃がさないという無言の圧力でもある。

(行きたくない。出来れば、今すぐ逃げ出したい)

 そう考えていたアイシャに、執事の容赦ない言葉が突き刺さる。

「アイシャ様、逃げても無駄でございますよ。ルイーザ様は、すべてお見通しでございます」

 つまりは、母はアイシャが逃げ出すことまで考えて、執事にエントランスで出迎えさせたのだろう。母の本気を感じ、コソっとため息を吐く。

「わかりました。では、参りましょうか」

 アイシャの言葉に背をむけ歩き出した執事の後に続き、母の私室へと向かったアイシャだったが、部屋へと入り目に飛び込んできた母の様子に、すでに逃げ出したくなっていた。

 目の前で優雅に紅茶を飲みながら笑みを浮かべる母の唯ならぬ迫力に、アイシャの背を冷や汗が流れる。

「お母さま、ただ今戻りました」

「アイシャも、もうすぐ十七歳になるのね。最近、時の流れを早く感じるのは気のせいかしら? やっぱり年かしらねぇ」

「はぁ……」

 一見、どうでもいい話から会話がスタートする時は、アイシャにとって良くない兆候でもある。大抵、この後に爆弾が落とされるのだ。

「あなたは、貴族令嬢が十八歳で社交界デビューを迎えることは知っていますね?」

「はい」

「年の始めに開かれる王城での舞踏会が十八歳を迎える令嬢のデビュー戦となります。貴方は、この舞踏会に嫌でも参加せねばなりません。アイシャは、社交界デビューについて、どう考えているのかしら? 今の貴方でも通用すると思いますか?」

「えっと……」

 言葉が出なかった。

 社交界デビューの年齢に近づくにつれ、貴族令嬢であれば当たり前のマナーやダンスのレッスンが増えて行った。しかし、自立して生きて行くつもりだったアイシャは、なんの役にも立たないとレッスンの時間を無駄と切り捨て逃げ回っていた。そんなアイシャの行動は、母に筒抜けだった。

「きつい事を言いますが、今の貴方では舞踏会へ参加したところで社交界を渡り歩くことは出来ないでしょう。社交の場は貴族の戦場です。上っ面な笑顔の下にドス黒い感情や企みを隠した輩がウヨウヨいる汚い世界なのです」

 魑魅魍魎闊歩する社交界。

 自身の欲を満たすため、他人を平気で蹴落とすような世界だ。社交界で渡りあう術を知らなければ、あっという間に、汚され堕とされてしまう。ましてや、貴族令嬢としての振る舞いもおぼつかないような者など、恰好の標的になるだろう。

「アイシャ、貴方はあと一年で自身を守る武器と鎧を手に入れなければならない。言っている意味はわかりますね? 貴方が今必要なのは実戦で使う剣や盾ではない。社交界を渡り歩くための知識と完璧な淑女と言う鎧です」

 確かに、今のアイシャでは社交界デビューしたところで、いい笑いモノだろう。しかし、本当に社交界デビューなどする必要があるのか?

「でも! お母様。私は、貴族令嬢だからって社交界デビューしなければならないなんて思えません。だって、女性騎士だっているじゃありませんか。彼女達は、貴族令嬢でも社交界へは参加していないはずです」

「アイシャ、貴方は本気でそう思っていますの? 女性騎士の皆様は、全員社交界デビューを果たしておられますし、今でも社交界でお見かけする事もあります」

「うそ……、そんな、はずない。だって、女騎士に社交界なんて必要ないじゃない!」

 アイシャの反論に、母ルイーザの目がつりあがる。

「アイシャ、本気で言っていますの? 貴族の中には、女性騎士に侮蔑の目を向ける貴族もいます。しかし、そんな輩を抑え込むだけの所作や知識を彼女達は持っています。並大抵の努力ではないでしょう。だからこそ、彼女達の存在は社交界でも認められ、崇拝の対象ですらあります。そんな彼女達の努力を貴方は汚したのですよ」

 怒りをはらんだ瞳を向けられ、静かに紡がれる母の言葉に息をのむ。


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