冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――とりあえず、従姉妹からの電話には一切出るな。メッセージについてはブロックはしない方がいいだろう。向こうが何を考えているかの手がかりにはなる。返信は出すな」
「はい」
朝食をとりながら、これからのことについて話をする。
「……課長」
「なんだ?」
コーヒーカップを手に、九条が麻子を見る。
「昨日、結愛に渡していたお金。いくら入れたんですか?」
ずっと気になっていたことだ。
「そんなことを聞いてどうする」
「課長に出してもらうわけにはいきませんので私から返します。ですから金額を教えてください」
「君に返してもらうつもりはない」
「そんなわけにはいきません!」
思わず声を上げてしまった。
「私の一存で勝手にしたことだ。それに、失礼だが、今の君がすぐに返すには厳しいのでは?」
「貯金がありますから」
「伯父に仕送りをしていると言っていたな。一体いくらしているんだ」
そう言えば結愛が叫んでいた。それを九条が覚えていたのか。そんなことまで話して、同情なんかされたくない。俯いて無言のままでいると、九条がコーヒーカップを置いた。
「隠していても仕方ない」
「……月5万です。でも、給料から払えない額でもないですから。それに、貯金があります」
いつもまでも無言でいる九条に痺れを切らし仕方なく俯いたままで答えると、手のひらが伸びて来て頭をぽんぽんと撫でられた。
「君が必死に貯めてきた金だろ。それは自分のために使いなさい。親がいない君にとって、蓄えがあるということがどれだけ安心になるか。君が一番わかっているだろ」
優しく諭すような口調になって。何も反論できなくなる。
「……でも、君のクソ真面目な性格は分かっている。君の気が済まないだろうな。だったら、こうしよう」
顔を上げると、ニヤリと意味深な笑みを浮かべていた。
「君が今より偉くなって、幹部にでもなった時。その時一括で返してもらおう」
「え……?」
「君は、とにかく金を稼ぎたい。そのために仕事を頑張っている。そうしていたら自然と出世しているはずだが?」
九条が、目をぱちくりとさせる麻子を愉快そうに見つめる。
「安心しろ。一緒に暮らしている間にも私が徹底的にしごいてやるから。君は将来、必ず出世しているぞ」
その目をふっと麻子から逸らした。
「だから君も、きっちり金を返せるように上を目指すんだな。せっかく近くにいるんだ。私を利用して踏み台にするくらいのつもりでいろ」
それは……。
「分かった?」
「……はい」
結局、今の時点では、九条にとって自分は対等の関係ではない。面倒をかけ迷惑をかけるだけの存在だ。
でも、いつか――何か少しでも、自分の存在が九条の助けになる日が来るように。九条の期待に応えたい。