冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
その後、自分のせいで九条の欲情はすっかり消えてなくなって、何事もなく眠りについた。
「君の夏季休暇の予定は?」
ベッドの中で九条が聞いて来た。
「私もちょうど聞こうと思っていたんです。私は、来週一週間を予定しています。課長はいつですか?」
本当なら九条と少しでいいから休みを合わせたい。
でも、到底そんなこと言い出す勇気はなかった。
そもそも、既に九条には九条の予定がある可能性もある。
「私は周りの予定を見て、これから適当に決めようと思っていたところだ」
まだ決まっていなかったんだ……。
「麻子は、何か予定は入ってるのか?」
「いえ何も。今年は何も考えていませんでした」
結愛が乗り込んできて祐介と別れて。こうして九条の家にお世話になることになって。夏に遊ぶ予定を考えている余裕なんてなかった。
「……よかった。じゃあ、休みを合わせよう」
「え?」
九条の言葉に驚いて、思わず身体を起こす。
「いいんですか?」
「この時期、皆が休みを取る。完全に合わせるのは難しいが、何日か被っていても何も不思議なことはない」
「じゃあ、一緒に過ごせるんですね!」
夏の休暇を一緒に過ごせるなんて期待も想像もしていなかった。そんなことしたところで悲しいだけだ。
「なんでそんなに喜んでるんだ?」
「だって、課長と休暇を過ごせるなんてまったく想像もしていなかったから、喜びがより大きいんです!」
嬉しい。単純に純粋にそう思う。
なぜか、九条が少しムッとして朝子の腕を引っ張った。
「君は一体私をなんだと思ってるんだ」
「え?」
「私だって、できる限り君と過ごしたいと思ってる。知らなかった?」
九条の顔を見下ろす形になる。月明かりに照らされた、メガネをかけていない綺麗な素顔に無性に泣きたくなった。
「……すみません。でも、すごく嬉しい」
九条がどこか諦めたようにふっと表情を崩す。
「休み、ちゃんと空けておいて」
「はい。全部、綺麗にあけておきます」
そう微笑むと、九条がそのまま腕を引き寄せて抱きしめた。
「もう少し甘えてくれないかな」
「甘えてますよ」
「どこが。いつもどこか遠慮してるだろ?」
「そんなこと……」
「まあ、麻子がそうしてしまうのは、私のせいでもあるかもな」
この部屋で二人でいる時の九条はこんなにも優しいのに。常に不安がつきまとう。
「私が課長を好きだからだと思います。課長に嫌われたくないんだと思う」
麻子も九条の首に腕を回し抱きしめ返した。
「嫌いになんかなったりしないよ」
「……本当に? 課長、女に冷たそうだから。少しでもわがままなこと言ったら冷めちゃいそう」
優しい手のひらが髪を何度も撫でてくれる。それが安心させて胸の内を吐露させる。九条の胸に頬を擦り寄せて甘えたようにそう口にした。
「誰かと親しい関係になるのは嫌だった。自分の生活を他人に踏み込まれたくないし煩わしいとしか思わなかった。それなのに、君とはあろうことか一緒に暮らしてる。簡単に嫌いになるくらいならこんな関係になっていない」
「そんなこと言われたら、私が特別みたいに聞こえる」
どうして今日は、嬉しいことばかり言ってくれるんだろう。
「特別だよ。麻子は特別だ」
その言葉が胸を貫いて涙腺までも刺激する。
“麻子は特別だ“
日付が変わる直前に聞いた九条からの言葉が、最高の誕生日プレゼントになった。