冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

 麻子も休暇を終え、また仕事に追われる毎日が始まった。それと同時に、プロジェクトも本格的に始動して、朝から晩まで息つく暇もない。

「ジャカルタとのオンライン会議セッティングして」
「はい」
「会議資料のドラフト、共有ファイルにあるから目を通して。何か気づいたとこあったら逐一報告。今日中に課長に見せるからそのつもりで」
「はい……っ」
「ブライントン社のデータ、今回のプロジェクトで必要になるからいつでも見られるようにしといて」
「問い合わせメール、至急案件で」

始業時間の前からプロジェクトメンバー内では言葉が飛び交う。
 ゆっくり検討して、じっくり確認なんてことをしている暇はない。次から次へと指示が降りてくる。

「中野さん、インドネシア語、理解できるから助かるよ」
「いえ! 少しかじってるだけで、理解できるなんてほどのことでは……」
「いやいや、ニュアンス汲み取れるだけでも全然違うんだよ。英語だけで済まない時があるからさ」

九条から言われて、帰国後も勉強するようになった。たった4日間でも、現地で何かにつけて九条から教えられていたからなんとなく理解できたりする。

「ホント、頼りになる」

メンバーから頼りにされることは、プレッシャーにもなるけれど役に立てているという喜びにもなる。

何より、
この腕時計が働く私に力をくれる――。


 そんな毎日を送っていたら、あっという間に夏も終わりを迎えていた。

 一緒に暮らしていると言っても、この状況では二人でゆっくり過ごす時間もない。
 自分はまだいい。週休2日は確保されている。ただ、課長である九条はそういうわけにはいかない。相手方の予定次第で土曜も日曜も出勤になることがある。

「君は、休みの日くらいしっかり休んでおくんだぞ」

この日も、土曜だと言うのに朝から九条は身支度をしていた。

「私のことより拓也さんです。明日は休めるんですか?」

ベッドから起きあがろうとする麻子を、ネクタイを結びかけていた九条が押し留める。

「――君は寝ていなさい。まだ早い」
「私は拓也さんが心配です」

帰宅も遅い。責任がのしかかる仕事をいくつも抱え、体力的にも精神的にもかなりの負担なはずだ。

「別にこれが初めてでもない。今までも忙しい時はこんなものだ。むしろ――」

まだ髪はきっちりと整えられてはいない、下ろした前髪からのぞく切れ長の目が近づいてくる。

「今は麻子に毎日癒されてるから。これまでよりずっといい」

そう囁くと、素早く麻子にキスをした。

「拓也さん……っ」
「じゃあ、行ってくる」

癒されたのは私の方ですけど――!

 ベッドに突っ伏す。
 仕事で見せる顔と二人でいるときに見せる顔。その二つを知っているということが、より麻子をドキドキとさせる。
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