冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「すみません、お話が全く見えないのですが。別れてくださいと言うのは、どういうことでしょうか? 私は課長の部下の一人でしかありません」
動揺を見せてはダメだ。平静を装い、すみれの目を見返した。
「……そうですよね」
麻子の言葉に、にこりと笑顔で返す。
「あなた方の関係は絶対に社内でバレてはならないものですもの。さすが、中野さんは有能だと評判の方ですね。この状況もご自分のお立場も理解していらっしゃる。だったら話が早いです」
「何をおっしゃっているんですか? 私と課長は、同じ課の上司と部下という関係です。何か誤解されているんじゃないですか?」
こちらの否定の言葉に全く耳を貸さない。完全に確信している。
でも、どうして――?
社内の誰かにバレているとも思えない。もし少しでもそんな噂が流れれば、相手が相手だ。すぐに広まるはずだ。美琴だって教えてくれるはず。
「――わかりました。では、少し話題を変えますね。私と九条さんにお見合いの話があると言うのはご存知ですか?」
麻子の心を見透かそうと大きな黒目がちな瞳がじっと見つめて来る。
見合いの話は断っていると聞いた。その話はとっくに済んだものだと思っていた。
本当は、違うの――?
心の中が不安でいっぱいになるけれど、ここでは無関係を貫き遠さなければならない。
「いえ、知りません」
「ご存知ないんですか。社内で、噂になったことがあると聞いたのですが、中野さんのお耳には入ってらっしゃらなかったのですね。では、ここでお伝えします」
「何度も申していますが、私は一部下に過ぎません。課長のプライベートを聞く立場にありません――」
「お見合いに関してはもう済んでおります。現在は、結婚を前提に九条さんとお付き合いしています」
え――?
麻子の言葉を遮り、すみれが言い放つ。
平成を装わなければならないのに。部下としての反応を見せなければならないのに、今自分はどんな顔をこの人に晒しているんだろう。