冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「父は九条さんのことをとても気に入っていて、部下の中で誰よりも信頼しているんです。それで、私の結婚相手にと紹介してくれました。一人娘の婿選びは、娘を持つ父親にとっては一大事業みたいで。九条さんなら間違いないと太鼓判を押しているんです」
父親に当然のように大切に育てられた人。麻子には、そんな父親も母親もいない。
私とは全然違う――。
「私も最初は、結婚相手くらい自分で決めたいって反抗していたんですけど、会うだけ会ってくれって父に言われて仕方なく会ってみたら……」
そこで、ふっと頬を赤らめ、すみれが目を伏せた。
「完全に一目惚れでした。理知的で紳士で。会ったその瞬間に、『ああ、この人と結婚するんだろうな』って、直感で思いました。実際にお話していても、優しくて素敵な方です。私のこともとても大事にしてくださるの」
それ以上聞きたくない。
これ以上、平静を装おうなんて無理だ――。
そう心の中で悲鳴をあげても、目の前の人はその口を閉じてはくれない。
「私の母のように、丸菱で働く九条のさんの支えになりたい。あの人のためにできることは何でもしてあげたいと思うんです。私なら、それができると思っています」
思わず、膝の上の手をぎゅっと握りしめる。
「九条さんは、本当に苦労されてここまで来られた方なんです。ご存知ですか?」
九条の過去。自分は何も知らない。何も教えられてはいない。
「私は、部下ですから、プライベートのことは知りません」
何度言えばいいのだろうか。何度繰り返したところで、すみれにとっては何の意味もなさないことももうわかっていた。
「九条さんは、ご両親がいらっしゃらないんです。お母様もお父様も亡くなられているの。頼りにできる親族もいらっしゃらないとおっしゃっていました。彼には、家族がいないんです」
「え……っ」
両親ともにいない――?
「幼い頃にご両親を失って施設で育ち、自らの力だけで大学に入りトップクラスの成績で卒業までした。どれだけ大変な毎日だったんでしょうか。私には想像もできません。本当に強くて立派な人です」
「私にそんな話をしてくださらなくて結構です。勝手に、課長のプライベートをお聞きするつもりはありません――」
「最後まで聞いてください。あなたは聞くべきです」
鋭い眼差しと柔らかな声のギャップが、余計に威圧感を放つ。