冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

「九条さんの能力と実績は、誰も疑いようのないものです。でも、社内でトップに上り詰めるためには、それだけではダメなこと、中野さんも分かりますよね? 後ろ盾は絶対に必要です」

そんなこと分かりきっている。その為に誰もが人脈を作り派閥争いを繰り広げているのだから。

「私と結婚すれば、その後ろ盾を手に入れられます。それもきわめて強力な後ろ盾です」

現副社長は、次期社長確実と言われている。
そんな人が九条の後ろ盾となれば――。

九条の能力に副社長と言う後ろ盾が加われば、答えは自明だ。

「それだけじゃない。私は、九条さんに温かい家族を作ってあげられる」

すみれの眼差しが、麻子から逃げ場を奪うように追い詰める。

「私の父も母も、九条さんのことをとても大切に思ってる。それはもう、本当の息子のように。
ご両親の愛に恵まれなかった九条さんに、優しくて息子思いの父親と母親ができるんです。あなたに、それができますか?」

その言葉に打ちのめされた。

「失礼ですが、中野さんのことを調べさせていただいたの。あなたにもご両親がいらっしゃらないんですよね? 申し訳ないけれど、あなたでは九条さんを幸せにはできない。あの人に何一つ与えてあげられない」

私に、何を言い返せるだろうか――?

九条の生い立ちすら話してもらえていない。
交際していることも誰にも話せない。

そんな心許ない立場の私が、何を言える――?

「わ、私は――」

震える声で必死に否定しようとした言葉は、いとも簡単にかき消される。

「――もう、嘘はおやめになって。この話をしながら、あなたの表情をずっと見ていました。あなたの顔はただの部下のものでなかったわ」

そう言って、すみれは心底心苦しそうな表情をした。

「嫌なことばかり言ってしまって、本当にごめんなさい。九条さんのためにも、どうしてもあなたに伝えなければならないと思って、居ても立っても居られなくて。出過ぎたことをしていることは理解しています。ただ、私は心から九条さんを愛しているの。それだけは分かってください」

もう、声すら発することができない。

「結婚前の、男の人の火遊びを騒ぎ立てるつもりはありません。あの人の本当の幸せを一番に考えたいから。だから、あなたも、九条さんのことを本当に大切に思っているなら、このまま身を引いてください」

身を引く――。

「彼を困らせないで」
 
私は課長を、困らせているの――?

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