冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「どうした? 帰って来たんじゃないのか?」
いつも部屋に戻るまで着崩すことのないスーツ。なのに目の前にいる九条の姿は、首元のシャツもネクタイも緩められていて、疲労が色濃く滲み出ていた。
「……あ、その、」
顔を上げられない。九条の目を見られない。そんなことをしたら、感情が溢れ出してしまう。
「おかしな人だな。ほら、帰るぞ」
俯く麻子の顔を、その長身の背をかがめて覗き込んだ。疲れているはずなのに、思わず重なった視線は悲しいくらいに優しげなものだった。
「疲れた顔してるな。早く帰ろう」
手のひらに、するりと九条の手のひらが滑り込んで来た。
「ん?」
繋いで来た手を思わず振り払おうとして、ハッとする。
「い、いえ。ちょっと、びっくりして……」
「手を繋いだくらいで、か?」
そう言いながら、握った手にぎゅっと力を込めて来た。
「……疲れているのは、私じゃなくて課長です」
下を向いて、話を変えた。
「今も、疲れて見えるのは課長ですよ」
疲れていながら、得意ではない笑顔を見せて。
どうして、そんな風に優しくするのだ。
「君もだよ。麻子が、限界なんてまるで無視して頑張る人だと、私は知ってるからな」
苦しさで、息ができなくなりそうになる。