冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――何してるんだ?」
九条がバスルームから出て来た。まだ、半乾きの前髪がメガネのレンズにかかっている。
「すみません。ちょっと、今度の契約のことで調べておきたいことが浮かんで」
膝の上にあるノートパソコンにすぐに視線を戻す。
「もう遅い。明日ではダメなのか?」
「今、ふっと頭に浮かんで。なんとなく気持ち悪いんで、今日のうちに解決しちゃいますね。課長は先に寝ていてください」
なるべく一緒にいたくないという、防衛本能。近くで会話を重ねたら、この出来損ないの演技はもっともっと酷いものになる。
「……どんなことだ。私でわかることなら答えるよ」
あ――。
ソファに座っていた麻子の隣に九条が腰掛けた。自然に大きな手のひらが、麻子の背中に回る。
「ああ……二年前、四ツ井が南アフリカと共同で出資した地下資源開発か。目の付け所がいいな。今回の私たちのプロジェクトでも参考にできる点は多くある」
「メンバーに見てもらう価値があるか、検討してみようと思いまして」
「十分役に立つ情報だ。明日にでも、君から伝えて」
「わかりました」
ひたすらにディスプレイを見続ける。
間近にある九条の身体も息遣いも。何も感じないよう心も身体も遮断したい。
「課長、今日も接待だったんですよね」
「ああ。今が契約締結までの最大の山場だからな。この契約無くしてプロジェクトは成し得ない」
「だったら、疲労も相当なはずです。早く寝てください。私は、もう少し調べてから寝ますので」
矢継ぎ早にそう言うと、少しの間、沈黙が流れた。この目はずっとディスプレイに向けたままでいる。
「……そうだな。じゃあ、先に休むよ。麻子もあまり遅くまで起きてるんじゃないぞ。また明日も忙しいからな」
ギシリとソファが軋む男がして、九条が立ち上がったのがわかる。
九条がこの場からいなくなった瞬間に大きく息を吐いていた。
婚約者がいる人と一緒に暮らしている。他人から見たら、最低な女だ。