冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「どうして、私は課長のことを他の人から聞くんですか? 考えてみれば、課長は自分のこと全然私に話してくれない!」
「付き合っているからと言って、全てを話さなくちゃいけないのか?」
え――?
デリカシーのない、人の心に土足で踏み込むようなことを最初に言ったのは自分なのに。九条の言葉に身勝手にも深く傷ついていた。
「……だって、好きな人のことなら、何でも知りたいって思うじゃないですか。分かち合いたいって思う。課長は違うの?」
必死であふれてくる涙を堪える。
「他人にそこまでを求めていないし、求められたくもない。私はそうやって生きてきた」
――他人。
押し留めようと足掻いた涙が、こぼれ落ちた。涙で滲んで、もう九条の顔がよく見えない。
「……ずっと、そうだった。課長に近づけたって思っても、どこかいつも遠くて。課長の気持ちがわからなくて、不安が常に付き纏って」
涙と一緒に感情が溢れ出す。
「課長といても、どうしても愛されてるって自信が持てなくて、苦しかった。課長といると辛いんです」
そんなことを言いたかったわけじゃないのに。どうしてこんな言葉を吐いてしまったのだろうか。
「――辛い思いまでしてこの関係を続ける意味はない。君が嫌なら、いつでも解消しよう」
放たれた言葉が、既に痛みに塗れていた胸を木っ端微塵にした。
九条の、躊躇いなく吐かれた言葉が冷たく刺さる。
胸の鼓動を止めて、呆然とさせる。
覚悟していたはずなのに。こうして実際に言葉にされて、無防備にも悲しく傷つくなんて。
どうしようもなくなって、九条の部屋を飛び出していた。
かろうじて、通勤用のバックだけは手にして出て来たけれど、それ以外には何も持って来なかった。そんな状態で行ける場所もなく、結局、自分のアパートに戻って来た。
よそよそしく感じる狭い部屋で、ぺたんと座り込んだ。カーテンが全開の窓からは、朧げな月明かりが差し込んで来る。
どうせ、ここに帰って来る予定だった。
それが、こんな帰り方になっただけで……。
「う……っ、」
誰もいない部屋に嗚咽が響く。一度、声が漏れ出てしまえば、もうダメだった。
「……っく、う……」
膝を立て、うずくまる。
『――君が嫌なら、いつでも解消しよう』
二人で過ごした時間も、
二人で触れ合うことも、
課長にとっては、いつなくなってもいいものだったんだ――。
本当に愛されていなかったんだと思い知る。
顔を突っ伏しても、耳を閉じても、頭を激しく振っても消えてくれない。
あの、切れ長の冷たい目がほんのわずか柔らかくなるのも、
“君は可愛いな“
“君は特別だ――“
そうやって甘く囁いてくれた声も。痛めつけるみたいに次々に蘇って襲ってくる。
愛されている自信がないなんて思っていたくせに、予想通り突き放されて傷つく私は愚か以外の何者でもない。
どう考えても幸せな恋にはならない。あの人を見ていれば分かるのに、どうして好きになってしまったのだろう――。
苦しくて苦しくてたまらない。
――それでも。
いくら眠れぬほどの苦しみにもがいても、朝が来たら立ち上がるから。
今は、ダメな私でいさせてください。