冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
取引先との会食を終えてオフィスに戻った時には、23時を過ぎていた。プロジェクトチームメンバーはまだ数人残っていた。その中には麻子もいた。
「課長、今日、接待だったんですよね? その後も帰社するなんて、お疲れ様です」
メンバーの一人山田が声をかけてきた。
「今日のところは至急案件はないはずです。帰れる時は帰って休んでおくように。そうしないと、無理をしなければならない時のパフォーマンスが落ちる」
残っていたメンバーにそう告げる。仕事はメリハリが重要だ。部下の仕事量に注意を払うのも管理職の仕事。無駄な残業はさせたくない。
「わかりました」
「では、お先に失礼します」
次々に帰宅する社員たちを見送り、自分の席で大きく息を吐いた。誰もいないのをいいことに、深く背を預け天井を仰ぐ。
「――課長」
しんしとした深夜のオフィスに、突然聞こえた声に視線を移した。
「まだ残っていたのか?」
情けなくも少し声が上擦る。
「申し訳ございません。プライベートなことを職場で話すのはお嫌いだとわかっているんですが、どうしても直接言いたくて。皆さんが帰られるのを待っていました」
目の前に麻子が立っていた。メガネをかけたレンズの向こうの目が、痛々しいほどに晴れていた。いつも向けてくれていた笑顔ではない、酷く強張った顔。緊張で身体中を覆うみたいにして立っていた。
「勝手に言いたいことを言って、飛び出して、本当に申し訳ありませんでした」
突然麻子が頭を下げる。
「どれだけ課長にお世話になったか、どれだけ助けてもらったか……。それなのに、そのご恩も忘れて、課長といるのが辛かったなんて言葉を最後に投げつけた。それだけは、撤回したかったんです」
そこまで言うと、勢いよく顔をあげ、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「課長からは、たくさん励まされました。いろんなこと教えてもらって、いろんなものをもらって……私は、課長といられて幸せなことの方がずっとずっと多かった。それだけは伝えたかった」
麻子――。
「……す、すみません。とりあえずそれだけです。じゃあ、失礼します」
「麻子」
逃げるように立ち去ろうとした麻子を無意識のうちに引き留めていた。