冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
ただ、異常にプライドだけは高い子供だった。周囲の人間に見下されたり同情されたりするのが嫌だった。自分の家の事情を誰かに話したことも助けを求めたこともない。
自分のありもしない誇を守りたくて、勉強だけは意地になってしていた。いつもテーブルに置かれていた金で、食事と一緒に参考書を買うような子供だった。
惨めで汚らしく愚かな母親が嫌いでたまらなかった。そんな母親が死んだのが小学校六年の時。最期も惨めな死に方だった。長年の不摂生が祟ったのか、末期の癌だった。美貌を振りまき男が途絶えたことのなかった女の、死に際にいたのはたった一人の息子だけ。涙も流してもらえず感謝の言葉も別れの言葉もない。見るも無惨な姿でベッドに横たわっていた女をただ軽蔑の眼差しで見下ろした。
「拓也……あんたは、本当は立派な家の息子なの。血だけはどうしたって否定できない。だから――」
「俺に父親なんていない。母親もな」
そう言った時の母親の最後の目をまだ覚えている。その目を悲しげに閉じて、息を引き取った。
その日から、一人で生きていくと決めた。
母親の死後、身寄りはなく施設に入った。
施設に入ったことで、生活環境を周囲に知られることとなり、『可哀想な子』として見られるようになった。憐れむ眼差し、同情、そして陰湿ないじめ。くだらない連中に神経をすり減らすことほど非合理的なことはない。何も感じない、他人に興味のない人間だったせいか、心が折れることはなかった。
義務教育を終えたらすぐに施設を出た。仕事をしながら通信制の高校に籍を置いた。
この、高校時代の数々のアルバイトが今の自分を作ったと言える。社会で成功している人間を徹底的に観察した。そうして、上流階級と言われる人間がよく出入りする場所をバイト先に選んだ。
身のこなし、処世術、会話、学ぶべき学問分野、身につけておくべき教養、資格。そして、誰にも恥じずに生きていけるだけの収入を得る方法。自分にとって信じられるものは、ただひとつ。金だけだった。