冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

 金がない生活。仕事に追われる毎日。大学時代はとにかく必死だった。勉強以外で学生らしいことをした記憶はない。とにかく大学での成績はトップを目指した。どの道に進むにしても、首席を取ることが損になることはない。

 そんな日々を送っていた大学三年の時、突然、父親の代理人だと名乗る人間が現れた。

「あなたは、服部(はっとり)水産代表取締役社長のご子息です」

それは、上場企業である食品会社だった。老舗であり堅実な経営をする有名企業。初めて聞かされる事実に頭が混乱した。

「社長があなたにお会いしたいとおっしゃっています」

そうして無理やり父親だと言い出す男に会わされたのだ。

「君はかなり優秀なようだ。今の生活が苦しいことも知っている。うちに来なさい」
「突然そんなことを言われても、ああそうですかとはなりません。俺には親はいません。母親も父親も死んだものと思って生てきましたから」

見るからに社長然とした態度だった。見たことも会ったこともない男を父親だと思えと言う方が無理というもの。

「母親は死んだようだね。親もなく自分の力だけで大学に入りそれもトップクラスの成績。そんなこと、誰もができることではない。そんな君を見込んでの提案だ。うちに入って、うちの会社を継いでくれ」

一方的に、何を馬鹿なことを言っているのだ。

これまで、どんな目に遭っても感じて来なかった怒りという感情が、沸々と込み上げて来る。

「私には一人息子がいるんだがな、これが救いようがないほど能力がない。(せがれ)に継がせたら我が社は終わる。だからと言って社内にも任せられる人材がいない」
「――ふっ」
「何がおかしいんだ?」

あまりの怒りに可笑しくなった。

「何もかもがです。ホステスと遊び子供まで作って。その挙げ句、金に物を言わせて大金の手切金を払って、母子ともになかったものにしたのでしょう? 認知もしていないのだから、完全に存在ごとあなたから消去したはずです。なのに、自分が困っているからと一方的に現れて助けろと? 身勝手でバカバカしい、おかしくてたまらない話じゃないですか」
「何だと!」
「俺があなたの息子さんと違って優秀なのは、あなたの会社を助けるためではないんですよ。俺に親はいません。今更、誰の指図も受けたくない。金輪際連絡もしてこないでください」

 それからも、何度も何度も連絡が来た。その度に突っぱねた。本当に誰も彼もがエゴの塊だ。自分が生きてきた人生で、人間の愚かさだけを見続けてきた。

 誰にも期待しないし誰も信じない。自分自身の能力と金と。それさえあればいい。

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