冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
会議室から執務室に戻ると、前の席に座る田所が声をかけてきた。
「プロジェクトメンバーに選ばれたと思ったら、今度は駐在のポストまで手に入れたのか。帰ってきたら、俺、おまえに追い越されんの確実じゃん。中野の部下になる日が来んの? じゃあ、今から態度改めないとな」
明らかに嫌味な口調。先輩として面白くないのは理解できる。
「私には、本当に重い重い職ですから、死に物狂いで頑張らないとですよね。向こうでは仕事に全てを捧げます」
なんとか笑顔を浮かべてそう答えた。
自分の個人的な理由から動揺でいっぱいで、このポストが社内においてどれだけ貴重なものなのか心から実感できないでいた。
こうして社内で発表されて、皆からの反応で改めて思い出す。自分が得たものが、出世したいと思う人間なら誰しもが狙う立場だったということを。
「俺が中野さんのサポート役としてメンバーに選ばれたの、このためだったんですね」
隣にいる丸山がこちらに身体を向けた。
「プロジェクト始動の時から、課長の指示で中野さんの業務は全部把握してます。引き継ぎも最小限で済むし、混乱も少ない」
そうだ。九条の頭の中では全て先を見通していたのだ。
おそらく、旅行先にインドネシアを選んだのも――。
「中野さんがいなくなってしまうのは、めちゃくちゃ寂しいですけど、でも、おめでたいことなんで。俺も嬉しいです」
「……ありがとう」
丸山のどこか切なそうな目に、複雑な心境になる。
「精一杯サポートしますから、頼りまくってください」
「あーあ、丸山もすっかりキャラが変わったなぁ。中野は課長からも後輩からも気に入られて、ご満悦ってか。調子乗って、足元掬われんなよ」
田所の声が割って入って来た。
「妬みですか?」
「丸山君……っ」
不穏になりそうな空気に丸山を遮る。
「中野さんが評価されるだけのことをしているのは、一目瞭然じゃないですか。それを妬むなんて、先輩としてみっともないです――」
「丸山君、やめなさい」
これ以上はダメだ。田所のプライドを傷付ける。丸山にとってもマイナスにしかならない。
「田所さんは、先輩として後輩の心配をしてるの。妬みだなんて失礼にも程がある。田所さんに謝って」
敢えてきつい口調で丸山を叱責する。
「すみません。俺が調子に乗りました」
「別に。それくらいのことで、腹立たせたりしねーわ」
丸山の謝罪にバツが悪そうにしてそう言い捨てると、田所は席を立った。