冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


 眠りの中にいた結愛をそのままにして家を出た。
 東京駅で新幹線に乗り、伯父の住む家、そして麻子が4年ほど暮らした家に向かう。

 新幹線と在来線を乗り継ぎ、昼過ぎに地元の駅に着いた。伯父宅は、周囲を山に囲まれた静かな集落にある。そこは、地方都市特有の小さく濃密なコミュニティーを形成していた。

 タクシー乗り場といっても形だけで、タクシーは一台も止まっていない。スマホを取り出しタクシーを呼ぶ。

 田畑と所々現れる住宅。伯父宅が近づいて来るごとに、ここで暮らしていた時の息苦しさが鮮明に蘇って来た。

 15分ほど走って、伯父の家に着いた。ここに住んでいた時以来だ。外観はそう変わっていなかった。無意識のうちに深呼吸をしてインターホンを押す。

「――はい」
「麻子です」

自分の声の低さに自分で苦笑してしまいそうになる。少しの間のあと玄関が開いた。

「ほんと、久しぶりね。全然顔見せないんだもん。薄情な子やねぇ」

出て来たのは、伯母の敦子(あつこ)だ。少し皺は増えたが老け込んではいない。むしろ年齢より若く見えた。

「……すみません。ご無沙汰してまって」
「まあいいわ。結愛は元気にしてる?」
「はい、でも――」
「元気ならいいの。あんたの従姉妹なんだし、ちゃんと面倒見てやってよ? じゃあ、このまま寺に行きましょ――お父さん、麻子ちゃん来たから出かけるよ!」

一方的に自分の言いたいことだけを捲し立てると、家の中に顔を突っ込み叫んでいた。その声から少しして、伯父の治郎が現れた。あの頃のままの姿だ。

「行くぞ。早く車に乗れ」
「は、はい」

挨拶をする間も与えずに、スタスタと自家用車へと向かって行く。それに慌てて続いた。

 運転席に伯父、助手席に伯母が乗り、麻子は後部座席に座った。9年ぶり会ったというのに会話はない。


 寺に着くと、年老いた祖父母がいた。この人たちに会うのも9年ぶりだ。

「冷たい子の麻子かい。もう顔も忘れちまったよ」
「おじさん、おばさんに世話になっても、全然顔見せねーんだって? 恩をあだで返す奴は、ろくな人間になれんぞ?」

腰を曲げながらこちらに杖を向ける。そういう風に、伯父夫婦から言われているということだ。

「おめぇの母親みたいにな」

ここにいる人間たちは皆、親族ではあっても他人も同然。いや、他人よりもっと苦しめる人間だ。

 13回忌の出席者は、伯父夫婦、祖父母、そして麻子。その5人だけ。完全に身内だけの小さな法要だった。
 中野家の菩提寺である寺で、僧侶による読経が行われるだけの簡易な法要だ。

 その後墓参りをして、伯父宅に戻った。

「――伯母さん、法要の手配をしてくださりありがとうございました」
「麻子ちゃん東京にいるから仕方ないわよねぇ。本来ならあんたが全部すべきなんだけど」
「すみません」

敦子の薄い唇だけが動く。

「あら、怒ってんじゃないのよ。あんたに準備してもらった方が真代(まよ)さんも嬉しいじゃないかって思っただけ」
「これ、今回の法要の費用です。もし足りなかったら言ってください」
「いいのに……でも、今回でこういった法要するのも最後だし。遠慮なくもらっとくわ」

敦子に頭を下げて、東京から持って来た幕内弁当を居間へと運んだ。


 
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