冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

* * *


 間も無くして二人で暮らし始めた。

 年末、関連会社に異動する辞令が出た。これは出向ではない。関連会社に完全に籍を置く。年明けに本社を退職した後、正式に麻子と入籍することにしている。

 それでも、いつか社内に知られたときこの結婚がどう受け取られるか。不安が全くないと言ったら嘘になる。
 丸菱グループに留まる代わりに、麻子に不利益を被らせない約束を社長に取り付けたが、一般社員がどう感じるかはまた別の話だ。
 もう3年以上の時間が経過している。藤原も心配のし過ぎだと言うが、少しでも麻子が傷つくようなことがあって欲しくない。もう、麻子を見守ることができない。

「――九条部長」

社内の廊下を歩いていると、丸山から声を掛けられた。

「辞令、見ました。九条部長が派遣されるってことは、今度は情報テクノロジー関係に力を入れるってことですよね。うちはまた強みができますね」
「君も、そろそろ海外赴任しないとな」

麻子のことを好きだった男――。

未だそんな目で見てしまいそうになる自分に苦笑する。

「――ここだけの話ですが」

突然、意味深な目をして丸山が声を顰めてきた。

「九条部長が課長で、僕の上司だった時。中野さんのこと好きでしたよね?」
「は……?」

思わず素っ頓狂な声が出てしまいそうになった。

「あの頃、そのことに気づいていたのは僕だけです」
「一体、何を――」

上手く取り繕えないでいると、丸山が身体を寄せてきた。

「多分、僕が最初に気付いたと思います。中野さんより前に」
「なぜ」

否定も肯定もできないままにそう聞いていた。

「中野さんが体調崩して医務室に行った時です。九条部長がベッドに横たわる中野さんを見る目は、部下を見ているものでは絶対になかったです。それだけじゃない、中野さんの髪にそっと触れていた」
「……見てたのか」

そこまで見られていたのなら、弁解の余地もない。

「その後、二人が付き合うようになったのも、なんとなく知ってました。だって、部長――」

丸山がその声を低くして言った。

「僕にわかるように、中野さんの首にキスマーク付けてましたよね? あれ、僕への牽制ですよね」

もう観念する。

「……そうだ。君への牽制だ。若くて優しい男に取られたら困るからな」
「僕の中野さんへの好意も見抜かれていたってことですね」
「当たり前だ」

自分から何も言えないくせに、ただ焦って大人気(おとなげ)ないことをした。

「中野さんは本当に素敵な人ですから。僕では落とせませんでした」
「当たり前だ」
「牽制した人が何言ってるんですか」

そう言って丸山が笑う。

「……もう三年以上経ちましたら。お二人がどうなっても、誰も何も言えません。早く中野さんを部長のものにしておかないと、また、誰かに狙われますよ」
「君に言われなくてもそうするさ」

丸山の肩をポンポンと叩いた。

「丸山さん」
「はい」

立ち去ろうとして、丸山に顔を向ける。

「そこまで気づいていながら、あの時、君は誰にも言わなかったんだろう? ありがとう」
「そんなの当たり前ですよ。好きなを人を苦しめるようなことするわけないじゃないですか」

丸山の言葉に悪態をつきそうになって、その代わりにこう告げた。

「そうか。"麻子"に代わって、礼を言うよ」

思い切り笑顔を作りそう告げた。

「あ、麻子って……わざとそんな呼び方して、めちゃくちゃ大人気ないですよ!」

その通りだ。麻子のことになると途端に大人気なくなる――。

喚く丸山に背を向けたまま手を上げた。


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