冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「部屋に連れ帰るなんて、いつもの私なら絶対にしないことをした。だから君も、今日のことは夢だとでも思って、好きにすればいい」

“夢“

さっき麻子がまさに、思っていたことだ。

「私、課長には呆れられていると思っていました。だから、こんな風にしてもらえてること、本当に夢みたいに思えます」

他人の仕事に手を出しながら、自分の仕事はミスをして。それを叱責されたのは昨日のことだ。九条の自分に対する評価は地に落ちたと思っている。

「別に呆れてなどない。君の仕事ぶりは分かっている」

九条の眼差しが麻子に向けられた。その目から、それが本心なのだと分かる。

「……ありがとうございます」

心がざわざわと落ち着かなくて残りのビールを飲み干した。疲れて空腹のところに染み込んだアルコールは、急速に身体と心を変化させていく。

「課長は覚えていないと思いますが、私、入社したばかりの頃に、課長と二人でお話したことがあって。なので二度目なんです」

あの時は外だった。でも、二人だけで夜空の下話をした。あの時に九条に憧れを抱いた。麻子にとって忘れられない特別な思い出だ。

「覚えてるよ」
「えっ?」

思わず声を上げてしまった。

「本当ですか?」
「バカ正直で、負けないようにと肩に力が入ってる新入社員」

そう言って九条がふっと口元を緩める。

「……まさに、私、ですね」

笑いながらもこの声が震える。
九条が覚えていた。覚えていてくれた。

「強そうで、それでいて(もろ)そうで。そんな感じだったかな」
「……本当に、その通りです」

自分の力で生きていくと懸命に虚勢を張って来た。でも本当の自分は、消せない罪をひた隠し、向き合う強さもない。善人ぶって生きてきただけだ。

大事な人を最後の最後に傷つけて、自分が傷つけられたからと言って何が言えるだろう。

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