冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
いつもと違う緊張感が漂う中、週初め月曜日の朝を迎えた。
自分のデスクで、まずノートパソコンの電源を入れながらこの日のスケジュールを確認する。いつものルーティンなのに、異様に胸の鼓動音が大きい気がする。それが耳障りで落ち着かない。
メール、週末の間にも大量に来てる――。
急ぎのものか、猶予があるものかを振り分ける。メールをある程度捌いた後は、既に完成された報告書の最終チェックに入る。
そのうちにも、一人、また一人とフロアに同僚が出勤して来た。
この報告書のデータ集計と分析は丸山に依頼していたけれど、結局それも麻子がすることになった。本来、二人で分担して作成し、丸山が提出することになっているものだ。
「――おはようございます」
その丸山が出勤してきた。
「おはよう。これ、月次報告。丸山君も全部目を通しておいて。その後で課長に提出をお願いします」
「了解です。確認次第、提出しときます」
特に今回は、丸山は関わっていないから、より深く見ておく必要があるだろう。
「しっかり、読み込んどいてね」
「たかが、投資後の業績管理ですよね。まあ、でも、ちゃんと見ときますよ」
パラパラとページを行ったり来たりしながら見ている。
「それはそうだけど、今後の事業でも参考になるものだし、私たちの担当だからしっかり把握しておかないと――」
「だから、分かってますって」
そう言って、丸山は立ち上がった。
「すみません。ちょっと、行かなくちゃいけないとこあって。ちゃんと目を通してから課長に提出しておきます」
丸山の背中を見ながらふっと息を吐く。丸山は、どこか仕事を選り好みするところがある。
でも、やるべきことはやらせることも私の仕事だよな……。
溜息を吐きつつ額に手のひらをあてた。
「――課長、おはようございます」
課長が来た――。
この日、朝から続く落ち着かなさの原因となる張本人の登場に、びくんと肩が反応する。
「おはようございます」
「課長、おはようございます」
フロア内の同僚たちが次々に挨拶をする。
「おはようございます」
九条のいつもと変わらない低い声。その声で、さらに麻子に緊張が走る。
どうしよう。顔、上げらんないよ――。
硬直した身体で頑なに俯く。
いやいや、どうしてよ。いい大人がいつも通り振る舞えないとか、絶対ダメなやつ――。
一体誰と言い合っているのか。一人であたふたとする。
「……中野」
土曜日のことは、忘れてくれと言っていたし。部下としてその通りにするべきで。
「中野?」
ここは仕事場だ。ちゃんとしろ――!
「おい、中野!」
「……は、はい!」
大声で呼ばれてようやく気づいた。不思議そうに田所が見ている。
「どうしたんだ?」
「い、いえ、何でも。で、何か?」
「法務部からの問い合わせ、中野にも転送しといたから、見といて」
「はい、分かりました」
そのやり取りの時、九条の姿が視界に入る。ただそれだけで、物凄い勢いで鼓動が早くなった。
落ち着け。あの人は上司だ。そう、懸命に念仏のように唱える。
唱えた。のに――。
田所から転送されて来た法務部絡みの案件に始まり、鳴り続けた問い合わせの電話対応。怒濤の業務量で既にへとへとになりながら、大量のファイルを抱えてエレベーターに乗り込んだ時だった。
か、課長……!
エレベーターに一人、九条がいた。