冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「ありがとうございました」
結局九条は、ファイルを抱えて麻子の席まで持って来た。それを、麻子の席の周囲の同僚が驚きの眼差しで見ている。
「――ああ、丸山君。さっ君が提出した資料のことで聞きたいことがあるので、私の席まで来てくれ」
九条が、その中の一人、丸山に声をかけた。
「は、はい!」
意気揚々と丸山が立ち上がる。
そう言えば、丸山が課長に自らの提案資料を提出していた。
受け身ではなく、積極的な仕事をする姿勢に丸山は評価されるのだろうか……。
素早く資料を揃えた丸山が課長席へと出向いていた。
気にしてもしょうがない。私は私でこの仕事を終わらせないと――。
持って来たファイルの山を順番に開いて行く。
「――営業利益。少し増加傾向にあるな。この分析結果は、どの資料を根拠にしている?」
「え……っ? あ、えっとですね――」
課長席での丸山と九条のやり取りが聞こえる。
「君の担当のはずだが。違ったか?」
「い、いえ。僕の担当です」
丸山の横顔は、酷く気まずそうなものだった。
どうしたんだろう――?
「なら、どうして私の質問に答えられない?」
「あ、いえ、答えられます。えっとですね、これは……」
焦ったように資料を捲っているが、求めているものが見つけられないようだ。次第に周囲の課員たちも、そのやり取りに気を取られ始める。
「月次報告、君は自分の担当分を責任を持って作成したのか?」
月次報告ということは、丸山が自主的に提出したものではなく、課長に提出しておくように頼んだ報告書のことだったのだ。
「……申し訳ありません」
丸山が苦虫を噛み潰したような顔で謝罪の言葉を吐いた。九条が背もたれに背中を投げ出し、鋭い目で丸山を射抜いた。
「仕事に優劣をつけるとは、君も随分偉くなったな」
淡々とした物言いが、余計に相手を萎縮させる。
「過去の事業投資の業績管理なんてつまらない仕事より、花形の仕事がしたいか?」
「い、いえ……」
「つまらない報告書を作成してる時間があるなら、わかりやすく自分をアピールできることをしたい。そんなところだろ」
丸山の表情が険しいものになっていく。
「この前、君が提出した事業計画は、やる気アピールか?」
九条が一際低い声で言い放った。
「私は、やる気がある人間が一番信用できない。特に、そういう安っぽいやる気をふりかざす、君みたいな人間だ」
その刃のような言葉にフロア内が凍りつく。
「君のやりがいや充足感のために仕事があるんじゃない。最低限の義務さえ果たせない人間が何をできる? 自分を過大評価するな」
九条の前に丸山が立ち尽くしていた。その横顔は血の気が引いて真っ青で。それでいて、その唇は噛み締められ震えていた。