冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜

 噂に聞いていた九条の容赦ない厳しさと冷淡さを思い知らされる。丸山を見ていたら居ても立ってもいられなくなって、麻子は立ち上がっていた。

「課長、申し訳ございませんでした。私が今回、丸山君担当分を引き受けました。指導係である私の判断です。その責任は私にもあります」

丸山の隣に立ち頭を下げる。

時系列的に後だとはいえ、九条にはむやみやたらに手を出すなと言われていた。それに逆らったことになる。

「……そうだな。中野さんにも大きな責任がある」

九条の声が突き刺さる。

「指導する立場にありながら、丸山君が何をしているのか把握していなかったということだ。指導係としての責任を果たせていない」

返せる言葉は何もない。

「今後、私の下で働く以上、馴れ合いのような働き方は一切許さない。覚えておけ」

課員皆に行っているかのように、最後は九条の声がフロア内に響き渡った。

「もう下がっていい」
「申し訳ございませんでした。今後気をつけます」

厳しい声が脳内を駆け巡る。無意識のうちに握りしめていた手のひらにじとりと汗が滲み出て来る。

麻子がもう一度頭を下げると、丸山が遅れて小さく頭を下げた。

 やり取りの全てを課員が聞いていただろう。本人をクールダウンさせるためにも、廊下へと丸山を連れ出した。

「丸山君、今度からは――」
「どうして、中野さんがわざわざ謝りに来たんですか。俺が嘘をついてあなたに仕事を押し付けたんだ。謝る理由ないですよね」

丸山に振り返るとこちらを睨みつける視線とぶつかる。

「俺を馬鹿にするためですか? 心で笑ってんですか?」
「違うよ。そんなわけない」

怒りと屈辱感に満ちた眼差しに、麻子も負けずに丸山を真っ直ぐに見た。

「私は、課長の厳しさをもっと理解しているべきだった。指導係として、丸山君にそれを真剣に伝える義務もあったし、課長の言う通り丸山君のしていることを把握していなければならなかった。なのに、事を荒立てたくなくて丸山君に煙たがられたくなくて、その手間を省いたの。完全に私の自己保身」

心にあった懸念や不安を丸山に追及したり指摘するのが面倒でやり過ごしたのだ。九条は、そういうことを決して見逃してくはくれないということだ。

「それに、あの仕事の担当者は私と丸山君の二人なんだから私にも責任があって当然。だからこそ、お互い自分の義務をきちんと果たそう。私もこれからはもっとはっきり言うから」

丸山は俯きながら、掠れた声を発した。

「……安っぽいやる気ってなんだよ。自らアピールしないと、仕事なんて掴み取れない。みんなそうやってのし上がってんじゃないのかよ」

あれだけはっきり辛辣な言葉を向けられたら、自尊心も傷つけられるだろう。九条に苛立つのも仕方がない。

「課長は、本当に課員のことをちゃんと見ている人だと思う。だから、ずる賢い人が一人勝ちするようなこともない。ということは、変に策を練ったりしなくても、きちんとするべきことをしてその上でアピールすれば正当に評価してくれる人だと思うよ」

田所のことといい今回の件といい、それがよく分かった。

「それに、他の上司みたいに、よく考えもせず部下に大量の資料作成を命じたりもしない。自分の不注意で指示を簡単に変えたりもしない。九条課長になってから無駄な仕事はなくなった。部下にも厳しいけど、その分自分にも厳しい責任を課してる人だと思う」

だから、厳しくても耐えられる。

「だからさ、そういう課長の特性を逆手に取って、頑張っていこう。ね?」

無理やり笑顔を作り丸山に言った。

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