冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――美琴の言葉はすごくありがたいけど、今は仕事に全力投球する時だと思ってる。今、いろいろ仕事任せてもらえてるし、ちゃんと応えたい」
店を出て、歩きながら美琴に告げた。
今、九条から直で指示されている業務がある。これまで、携わることのなかった仕事をさせてもらえている。
「ああ、九条課長からの仕事だよね」
「そう。慣れない業務で大変だけど、これからのキャリアに活かせるから」
「うん。いいと思う。九条課長だし。仕事と恋、両方頑張れる。うん。いいと思う」
「……え、えっ!!」
パっと九条の顔が浮かぶ。
思わず足を止めてしまった。
「仕事の話してるんだよ。そんな話題と一緒にしないで!」
「なーに、その過剰な反応。まんざらでもない?」
「ち、違う! 違うに決まってる」
この動揺ぶりに自分でも嫌になる。
「だって、私は別れたばかりだよ。そんなの、あまりに軽過ぎるし不誠実だよ。そもそも、あの課長が部下を相手に、なんて考えもしないだろうし……って、そうじゃなくて」
何を言っているのだ。これではまるで――。
「麻子」
「な、何よ」
たまらなく自分の顔を隠したくなる。
「別れたばかりとか、そんなの全然関係ない」
美琴がいつの間にか麻子の正面に立ち肩を掴んだ。
「麻子は裏切られた方なの。軽薄でも何でもないよ。自分が幸せになることをもっと考えていいんだから。麻子の人生の主人公は麻子なんだよ」
綺麗な大きな瞳が柔らかく細められた。
「誰かを好きになるのにどんな制限があるっていうの。その相手が九条さんで何が悪いの」
「だから。どうして美琴はそんなに課長を推すのよ。むしろ、私に不幸になれって言っているように聞こえる」
友人に幸せになって欲しいなら、あの人のことをけしかけたりはしない気がする。そう思って苦笑した。
「確かに冷徹だし怖そうだし、普通の男子よりハードル高そうだけど。それは一般論でしょ? 私はずっと、九条さんと麻子には縁がある気がしてるの。私の直感」
「美琴の直感で地獄を見たくないよ」
課長を好きになったりなんかしたら辛いだけだ。容易に想像できる。
「課長は課長。上司です。とにかく課長からは出来る限り仕事のやり方を盗みたい。それで精一杯だよ」
絶対に好きになってはダメな人だ。絶対――。
「4年前、九条さんとの出来事を私に話してくれた時の麻子の顔が忘れられない。あれは、恋した人の顔だったよ。相手が相手なだけに、麻子自身がなかったものにしただけ」
なかったものにした――だとしたら、封印したままでいさせてほしい。