冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「では、わたくしの方からご説明させていただきます。周辺各国の政治情勢と、天候の要因、その両面から――」

九条に説明したのと同じように。それだけを考え、役員達を前に説明した。

「なるほど、良い視点だ。それなら、開発を急ぐ必要があるな。他のエリアとの差別化も必要だろう」

常務の言葉に心の底から安堵した。

私の説明で大丈夫だった――。

「その点についても既に検討しております。次の資料をご覧ください」

九条が説明者を自分に戻す。

 そうして、無事に役員説明を終えることが出来た。

「この先控えているプロジェクトの重要な先行事業となる。人選も含めて、引き続き準備を頼んだよ」

最後に常務が言葉を放った。

「いやー、良かった良かった。今後のプロジェクトにも幸先のいいスタートが切れそうだ。皆さん、本当にご苦労だった。常務もご満足されただろう」

常務をはじめ役員の面々が退席したのち、営業本部長が豪快に笑った。

「さっきの、中野さんの説明部分。この短い時間でさらにより良いものにしてくれた。あれは最後の一押しになっただろう」
「彼女に任せたことに間違いはありませんでした」

本部長の言葉に、九条がはっきりと言った。

「九条君が認めているなら間違いないな。九条君、今後もしっかり頼むぞ」
「お任せください」

これまで、目の前の仕事をただコツコツとやって来た。花形部署にいるとは言え、大勢の中の一人。個人名が出ることはなく何かを成し遂げた実感もなかった。

初めて自分の名前で仕事をしてそれを認めてもらえた――その喜びにじんとして、挨拶をするのも忘れていた。

九条に続いて慌てて頭を下げる。

 営業本部長を見送り管理部門の関係者も退席して、坂田と九条の3人になった。

「いやあ、とりあえずほっとしたな。またすぐに次の段階に動き出さなきゃいかんが、少しは休息をとっておきなさい」
「ありがとうございます。実行部隊の調整については進めておきますので――」

あ……ちょっと、まずいかも――。

坂田と九条の会話の横で、突然立ちくらみに襲われる。無事に済んだ安堵から集中力が切れたのか。体調の悪さが急速に蘇って来る。咄嗟にすぐ近くにあった会議室の机に手をついた。

「あ、あの、私、ここを片付けて鍵を返してから戻りますので」

坂田と九条にかろうじてそう言葉にできた。

二人の前で倒れるわけにもいかない。少し座っていれば回復するだろう。片付けながら少しだけ休ませてもらおうと考えた。

「ああ、お疲れ様。それで九条君、その人選についてだがな――」

坂田が麻子に笑顔を向けるとすぐに九条に視線を戻す。九条がチラリとこちらを見たが、二人は話をしながら会議室を出て行った。

 それと同時に身体から力が奪われてしゃがみ込んだ。手にしていた資料やファイルが床に散らばる。

 足元から込み上げて来る不快感が身体を覆う。嫌な汗が背中を流れ落ちていくのが分かる。床に座り込んで胸をさすった。座っているのも辛くて、机の脚に身体をもたれさせる。

その時、背後でドアが開く音がした。

「――中野さん!」

え――?

どうして。

九条の声が飛び込んで来た。

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